足立坂東観音霊場 札所案内 札元・定正寺により宝永2年(1705)に成立した
1番 |
満福寺 |
さいたま市北区日進町2-1003 |
18番 |
観音寺 |
戸田市新曽1791 |
2番 |
廓信寺 |
さいたま市浦和区北浦和3-15-22 |
19番 |
海禅寺 |
戸田市上戸田3-7-18 |
3番 |
瑞岸寺(延命寺) |
さいたま市浦和区本太2-23-5 |
20番 |
三学院 |
蕨市北町3-2-4 |
4番 |
普門寺 |
さいたま市南区太田窪4-9-10 |
21番 |
三藏院 |
蕨市中央2-30-10 |
5番 |
観音寺(三室堂) |
さいたま市緑区馬場2-38-3 |
22番 |
常福寺 |
戸田市中町2-4-11 |
6番 |
清泰寺 |
さいたま市緑区東浦和5-18-9 |
23番 |
観音寺 |
東京都北区浮間4-9-2 |
7番 |
観音院 |
川口市柳崎4-11-30 |
24番 |
善光寺 |
川口市舟戸町1-29 |
8番 |
福聚院 |
さいたま市南区大谷口2295-1 |
25番 |
最勝院 |
川口市飯塚町1-15-24 |
9番 |
二ツ堂 |
川口市芝塚原2-18-2 |
26番 |
並木堂 |
川口市並木2-34-5 |
10番 |
大谷場宝性寺 |
さいたま市南区南本町2-13-4 |
27番 |
良光院 |
川口市中青木4-15-3 |
11番 |
白幡観音堂 |
さいたま市南区白幡4-14-25 |
28番 |
千手院 |
川口市坂下町2-15-5 |
12番 |
広田寺観音堂 |
さいたま市南区沼影1-6 |
29番 |
慈眼寺(地蔵院) |
川口市桜町5-5-39 |
13番 |
如意輪寺 |
さいたま市桜区田島3-28-19 |
30番 |
真乗院 |
川口市石神1253 |
14番 |
四谷観音寺 |
さいたま市南区四谷3-7 |
31番 |
木揃堂 |
川口市木曽呂269 |
15番 |
普門寺 |
さいたま市南区内谷5-16-3 |
32番 |
観福寺 |
川口市前川町4-30-13 |
16番 |
徳祥寺 |
戸田市美女木7-4-1 |
33番 |
定正寺 |
蕨市塚越3-2-14 |
17番 |
平等寺 |
戸田市笹目6-5-4 |
番外 |
法福寺 |
川口市里1577 |
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番外 |
八丁観音寺 |
さいたま市緑区大間木1907 |
足立坂東観音霊場 は宝永二年(1705)に足立郡塚越村(現 蕨市塚越 )の高橋休山により、当時の足立郡大宮以南の寺院仏堂をもって創設されました。また、この他にも同じ名称で、大宮以北の寺院仏堂で構成された、桶川市下日出谷の知足院が札元の観音霊場があります。ここでは前者の大宮以南の足立坂東観音霊場を案内しています。
一番札所は大宮氷川神社の別当で観音寺でしたが、明治政府の神仏分離令で廃寺することになり、 隆山住職は以前に住職を務めていた満福寺に退去し、一番札所も聖観音像と共に満福寺に引き継がれた。このことが、上述の二つの霊場を結びつけることになりました。満福寺は大宮以南の霊場(1番)と以北霊場(33番)が共有する唯一の寺院となったのです。
大宮以南で構成された 「足立坂東観音霊場 」札所は、上の一覧表のとおりです。
浦和・川口・戸田・浮間(北区)・鳩ヶ谷の各地を巡って、最後の33番は札元の定正寺で結所します。定正寺は塚越神社境内に無住の観音堂を残こすだけの姿ですが、ここには開設者高橋休山の墓があります。
番外として、法福寺、八丁観音寺を加えて三十五箇所の札所を参詣するのがこの霊場の特徴です。ある古文書の記述には「御府内(江戸市中)より参詣は川口善光寺よりはじめ・・・・」とありますから、江戸市中の人達もご開帳の際にはわざわざ出張して巡拝したことが想像できます。
開帳は午( うま )年の本開帳、丑(うし)年の中開帳とがあり。前回は平成14年4月5日〜14日(午年)に開帳された。今回は、平成21年4月5日〜11日(丑年)、次回は午年の平成26年(2014)は4月6日〜12日の期間です。
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