扁額には正観世音菩薩(右から左へ読む)の文字 |
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写真上は、「塚越神社(正式には稲倉魂神社)」。定正寺はこの神社敷地の片隅にある。 写真左は、足立坂東観音霊場を開設した高橋源太郎休山の墓。 戒名は源明院昌教休山居士と彫られている。堂の右側に鎮座しています。 約300年ほど前のことです。定正寺の高橋源太郎休山和尚は身近に霊場巡りができないものかと考えました。寺を巡って交渉やら折衝をした末に今日の足立坂東三十三霊場を成立完成させました。 時は移り、明治政府が誕生して、近代化の旗印で心の拠り所の宗教がないがしろにされ、神仏分離令、小社統合令 、廃仏毀釈、などで千年の宗教観が一変されました。定正寺が別当を勤めていただろう塚越神社も強制的に分離され、寺も衰退したと思われます。 |