観福寺 (川口市) 補陀洛山清浄院 真言宗智山派 川口市前川町4-30-13 前川観音
【観福寺 案内】
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観福寺は地元では前川観音の方が通りが良いくらいで、道路にも名前が冠されているほど定着しているようです。
足立坂東観音霊場の32番札所で、2009年4月には長野の善光寺と同じに開扉された。その時に前川観音を撮影できたので掲載しました。
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写真は、左が本堂。2段目と3段目は観音堂とその中に祀られている仏像。その下は境内の像で左から、弘法大師修行像、 興教大師覚鑁(こうぎょうだいしかくばん) は新義真言宗の祖、白鯨堂、弁才天講中供養塔、子育て地蔵。一番下は六地蔵、水子地蔵。
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当山は妙覚上人を開基とし、その守り本尊であった千手観世音菩薩を本尊とする。特に江戸時代に宥賢上人、春永上人、良在上人、宥秀上人など歴代住職が観世音の利益を天下に布説して今に至っている。 開基妙覚上人については、平家の嫡流平維盛の長子六大丸は、頼朝に捕らえられたが、高雄の文覚上人の助命により、得度し妙覚となった。文覚上人流罪の後、再び捕らえられたが、守り本尊千手観音の妙智力により危難を脱し、大熊、斉藤などの家来に守られ、縁故のあった武州前川の里に草堂を営み、朝夕一門の菩提に回向していた。これを観了坊という。寛喜2年(1223年=鎌倉時代)3月17日妙覚上人は69歳をもって入寂したと伝えられている。
明治初年、村社勢貴社別当寺の東福寺が村内の満福寺(現在墓地)と合寺し、大正末期にその満福寺が観了坊と合寺し現在の観福寺と改称した。しかし、一般には「前川観音」の名で遠近に知られている。寺の墓地には市内最古の寛元4年(1246年)の板碑がある。
(真言宗智山派埼玉第一教区HPより)