埼玉県指定史跡
大正15年2月19日指定
慶長九年(1604)江戸幕府は大久保石見守長安に命じ、江戸日本橋を起点に一里ごとに塚を築かせた。
この一里塚は、下野田(南埼玉郡白岡町大字下野田)の一里塚より北東一里の地点に位置している。
ここは古利根川の自然堤防となっており、その上に塚を設けたものである。もとは街道の南側に五問(9メートル)四方の大きさの塚があったが、大正時代初期、道路拡幅により西塚が消滅し、現在残っているのは東塚だけである。これらの塚上には松が植えられていた。
一里塚は、旅人にとっては里程の目標に、また馬や駕籠の賃金を支払う時の目安にもなった。
埼玉県教育委員会
杉戸町教育委買会 (現地案内板)
和戸橋の先、マミーマートより北にある。和戸橋近くには『西行法師見返りの松』で知られる永福寺がある。