向こうに見えるのは見沼公園橋 | 富士塚の下に東縁が流れ下の穴より取水する |
手前芝川と見沼代用水東縁の合流点 | 手前芝川と見沼代用水西縁の合流点 |
見沼通船に使われた船は「ひらたぶね」と呼ばれる底の平らな長さ11m、幅2m程のもので約60Kgの米俵100〜150俵積みの小型船でした。江戸からきた船が八丁河岸に着くと船頭は、近所の人に声をかけ人々を集めます。およそ20人位の人々が土手から綱を引いて一の関に入ります。その後、一の関水門を閉じ水位を上げて二の関に入り、二の関水門を閉じ水位を上げて代用水に到着します。関を閉じるには角落(かくおとし)板と呼ばれる板を取り付けて閘門を閉鎖します。逆の場合も要領は同じです。 左の写真は、東縁合流部近くにある休憩施設の内部に掲示してある写真です。中央に見える橋は芝川に架かる八丁橋でしょう。道は赤山街道と呼ばれ、赤山陣屋へと通じている。 芝川は水運が盛んで、扱う荷の特色は東京からの肥料(人糞)が多かったことであり、肥船と呼ばれる運搬船が往来していたらしいです。 |
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