膝子一里塚 さいたま市膝子527−1
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膝子一里塚


日光御成道の一里塚 (○付は現存)
 本郷追分−○西ヶ原稲付元郷鳩ヶ谷戸塚−玄蕃新田―○膝子岩槻― ○相野原− ○上野田−○下高野−(幸手宿)

膝子一里塚 膝子一里塚石柱 石仏
県の表示物 膝子一里塚石柱 弘法大師像で台座は秩父・四国・西国霊場巡り、六地蔵
日光道中絵図の膝子一里塚と光徳寺日光道中絵図の膝子一里塚と光徳寺

膝子一里塚


昭和三十九年一月十三日指定
 一里塚は、江戸日本橋を起点に主要街道に一里(約四キロメートル)ごとに設けられたもので、道の両側に大きさ五間(約九メートル)四方の塚を築き、榎などを植え、往来の目安とされていました。
 この一里塚は、江戸時代の初期に築かれたもので、江戸から八里、岩槻へ一里の日光御成道上にあります。当時は、道路の両側に塚を築き、塚上に榎が植えられていました。現在は、明治初年に西側が取り払われたため、東側の塚のみが残ります。この塚も道路改修などで築造当時よりも小さくなり、榎も二代目が植えられています。
 なお、日光御成道は、江戸時代に将軍が日光東照宮へ参拝するに際し通行したもので、江戸の本郷追分から王子、岩淵、川口、鳩ヶ谷、大門、岩槻を経て、幸手で日光道中に合流する六宿十二里の道でした。
  平成二十二年十二月
膝 子 自 治 協 力 会
さいたま市教育委員会

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