【稲付一里塚】
稲付一里塚は日光御成道の沿道にあり、ここから200mほど北の赤羽西2−8付近に築かれていました。明治中頃まではその跡があり、村の掲示場として官有地だったようですが、明治21年に隣地の所有者に払下げられ現在は残っていません。
日本橋を起点とすると稲付の塚が三里目 (約11.8キロメートル)にあたり、この塚を過ぎると御成道の最初の宿場 である岩淵宿に向かいます。稲付村内の御成道は総延長約六丁半 (約709.1メートル)で、幅は二間半(約4.5メートル)から四間(7.2メートル)位と記録されています。
北区教育委員会