左の図は、国立公文書館デジタルアーカイブより、 日光道中絵図です。天保14年(1843)4月の徳川12代将軍家慶の日光社参の行程を示した道中図です。岩槻・古河・宇都宮の宿泊地のほか、休憩所が金色の丸印で記されています。絵図には、関所・一里塚・郡境・国境のほか、村名ごとに領主の記載があるほか、街道を往来する人々の姿や沿道の風景が細かな筆で描かれています。 左図はそのほんの一部で、文字は左から、神明社、西光院、本行寺、下に下がって戸塚村とあります。 |
入口の坂に並ぶ妖怪たち、その前には「狐 狸 妖怪 不許入山門」 |
瑠璃堂(るりどう) 本尊 薬師如来 |
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薬師如来は正式には薬師瑠璃光如来と言い、この瑠璃堂は薬師如来を祀った堂。 下の写真は、堂内の薬師如来像で、正月は特別にご開帳されるようです。真ん中に薬師如来、両側の脇士は向かって左に日光菩薩、右に月光菩薩、左右の脇壇に十二神将の像を置く。 【十二神将】 天部のひとつに属する。十二夜叉大将ともいい、各神将がそれぞれ7千、総計8万4千の眷属(けんぞく)夜叉を率いるという。 【関連】 慈林薬師|岡の薬師| |
本尊の薬師如来 | 薬師三尊 向かって左が日光菩薩、右が月光菩薩 |
左右の脇壇に祀った十二神将 |
多くある仏像の案内 |
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慈母観音 | 水子遺贈 | |
一葉観音(水難から身を守ってくださる観音) | ぽっくり薬師(正式には七佛薬師如来) | |
魚濫観音(波を泳ぐ鯉の背に乗っている像もある) | 閻魔大王(閻魔大王を集めたページ) | |
弘法大師(弘法大師像を集めたページ) 弘法大師の修行像には多くのバージョンがあります |
興教大師覚鑁(興教大師像を集めたページ) 高野山を再興した真言宗中興の祖 |
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弁財天 |
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お釈迦様の一生 |
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誕生像 産まれてすぐに7歩進んで、右手で天、左手で
地を指し「天上天下唯我独尊」、誕生日は4月8日(花祭り) |
釈迦出城 釈迦が出城したのは29歳2月8日のことで、
いまだ修行中で悟りを開く前の姿である。 |
苦行像 出家後、6年間苦行生活を送っていたときの像です。ガリガリに痩せて鬼気迫る姿です。 |
降魔像 釈迦が修行しているときにじゃまをしようとした悪魔を追い払った姿を表しています。 |
説法像 悟りを開いた後、人々の中に入ってそれを説法するようになりました。この姿を表したのが説法像です。 |
涅槃像 多くの弟子や動物たちの深い悲しみの中,釈迦は身を横たえ80歳で入滅(2月15日)。 |
六地蔵 | 十六羅漢像 |
瑠璃光明塔 | 板碑(秩父長瀞の緑泥片石が使われている) |
私の選んだ3枚 |
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