本尊の阿弥陀如来 | 山門 | |
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左手に薬壺を持つ薬師如来坐像 | 脱衣婆と伝承がある姥像 →閻魔特集の奪衣婆像 | |
観音堂 | 十一面観世音菩薩像 | |
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弘法大師修行像 → 弘法大師像の特集 | 観音像が並んでいる | |
国道122号線にある不動堂と脇に薬林寺入口の標識 | 不動堂内の不動明王と脇侍の矜羯羅童子と制多迦童子 |
上図は国立公文書館所蔵の日光道中絵図で、天保14年(1843)4月の徳川12代将軍家慶の日光社参の行程を示した道中図の一部です。4月13日に江戸城を出発し、13日岩槻、14日古河、15日宇都宮に宿泊しています。岩淵から鳩ヶ谷を経て岩槻までは日光御成道を、幸手から宇都宮を経て日光までは日光街道をたどっています。 図は薬林寺周辺を抜き出しましたが、右側に「十二田村」東叡山領(上野寛永寺)社領。中央に、芝川除堤。左側に薬林寺があり、その部分をさらに拡大したのが左図です。 上部に、樋爪村 御料 寺領。下部には、薬林寺 古くは芝川の堤外に有りしが天正年中(1573-91) 兵乱によりて今の地にうつる 境内に薬師堂あり伝教大師(最澄)の作にして岡の薬師と号す。 この文によれば、薬林寺の始まりは天台宗だったのかも知れない。 |