西光院 川口市戸塚2-6-29
真言宗豊山派寺院の西光院は、青龍山傳福寺と号します。
叡雅上人は全国を修行して歩いて当地に至り大杉の林立する霊妙なる空間を見出し、庵を作って参籠した。人々から杉本坊と称された。上人はなおも遊行を続けたが、途上で慈覚大師円仁作の不動明王像を得たため再び庵へ戻った。霊験のあらたかな尊像のため秘仏として安置され12年に一度だけ、不動尊の守り年である酉年に開帳される。
武蔵国八十八ヶ所霊場51番、武州足立百不動尊霊場22番、武州川口七福神の弁財天となっております。
下は、
川口七福神
の弁財天堂と弁財天
上は閻魔大王、下は慈母観音と水子地蔵
上は魚濫観音(波を泳ぐ鯉の背に乗っている、港町で、大漁を願って祀られていることが多い)
下は一葉観音(蓮葉に乗った観音で水難から身を守ってくださる)
「ぽっくり薬師」の表記がある。正式には「七佛薬師如来」。東の浄土界を統率する薬師如来。左手には薬壺を持ってます。
薬師如来は正式には薬師瑠璃光如来と言い、この瑠璃堂は薬師如来を祀った堂。その下は、堂内の薬師如来像で、正月は特別にご開帳される。
釈迦の生涯は誕生像、出城像、苦行像、降魔像、説法像、涅槃像に造形化される
誕生像と呼ばれる像です。経典には産まれてすぐに7歩進んで、右手で天、左手で地を指し、「天上天下唯我独尊」(世界にこの命は一つだけ、だからこそ全ての生命に価値があり尊い)と宣言したという。人差し指、人差し指と中指、全指を挙げる像がある。左手は大地を差す。
像の脇にある説明板には「釈迦出城」とある。出城したのは29歳2月8日のことでした。立像は「出山(しゅっさん)の釈迦」に代表されるように、いまだ修行中で悟りを開く前の姿だけである。
出家後、6年間苦行生活を送っていたときの像です。目は落ちくぼみながらもしっかりと前を見ている。ガリガリに痩せて鬼気迫る姿です。柔和で穏やかな姿をしている普通の釈迦如来像とは違った感動を与えてくれます。 苦行では悟りを開かれず菩提樹の下で瞑想することになり、そこで悟りを得ることになります。
仏像を識別するときに重要なのは手の動き(印)だそうだ。右手指を下に向け地面に触れている印を降魔印(触地印)といい、釈迦が修行しているときにじゃまをしようとした悪魔を追い払った姿を表しています。
釈迦は悟りを開いた後、しばらくはその境地を一人で楽しんでいましたが、やがて他の人にもその境地を教えたいと決心し、人々の中に入ってそれを説法するようになりました。この姿を表したのが説法像です。左手を内側に、右手を外側に向けている手の姿を転法輪印または、説法印といいます。
沙羅双樹のもとで,多くの弟子や動物たちの深い悲しみの中,釈迦は身を横たえ80歳で入滅(2月15日・釈迦涅槃会)。この姿を「涅槃像」・「寝釈迦」と呼んでいます。像は頭を北向き、お顔を西向き、横臥する姿勢で右手の手枕をしますが右手の手枕でない涅槃像もあります。
真言宗開祖・弘法大師像