慶長7年(1602)より徳川政権(翌年、家康将軍となり幕府開く)、中山道など五街道の整備を進めましたが、当初は板橋宿の次は浦和宿でした。両宿の距離が約14.4kmと遠く、しかも間に戸田の渡しが(荒川の一部戸田川)があり、増水で渡れない場合困難なので、自然堤防上に宿を立てました(慶長17年=1612が有力だが諸説あり)。
宿場の周囲に堀を廻らせた特異な形態をしているが、平坦な場所に立地しているため防御上の理由と考えられています。
蕨宿は十町(約1q)ほどで、道幅は六間(約11メートル)と広く道の左右に街並みを形成していました。
宿場の規模は江戸近郊部では浦和宿や大宮宿を凌いで最大でした。
中仙道蕨宿公式サイトより![]() |
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蕨本陣跡・左隣は歴史民俗資料館 | 蕨市立歴史民俗資料館分館 |
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歴史民俗資料館内・旅籠の夕食 | 館内・歌川国芳 木曾街道六十九次 蕨 犬山道節 |
【小林一茶の紀行文(寛政3年)】 戸田の渡りを越えて わらび駅に入れば 薄々と日は暮ぬ 大名のとまりとて おごそかに幕内廻し あらたに砂蒔ちらし 門人は従者の名札を張りて 右に左に棒をつきて 非情の輩をいましむると見えたり |
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