【志村一里塚】
徳川家康は、関東に封ぜられて(天正十八年1590)以来街道の整備を進めてきたが、慶長九年(1604)秀忠に命じて、江戸を中心とした五街道に榎を植えた一里塚を築かせ、これを全国におよぼした。
江戸日本橋を基点とし、一里を三十六町(四キロメートル弱)に統一し、中山道では、本郷森川宿、板橋宿平尾につぎ、志村一里塚は第三番目の塚である。
塚は道の両側に向かいあって五間(約九メートル)四方、高さ一丈(約三メートル)の定めによって築かれ、旅人にとっては、里程や乗物の支払いの目安になり、またその木陰はかっこうの休所にもなった。
一里塚が完全な姿で残るのはまれで、都内では北区西ヶ原のそれと二ヶ所のみであり、交通史上の重要な遺跡として、国および板橋区の史跡に指定・登録された文化財である。
昭和62年10月 板橋区教育委員会(現地看板)
【一里塚特集】
中山道:
本郷−
板橋宿−
志村−
戸田−
蕨宿−
辻
日光御成道:
本郷〜幸手宿間の12箇所