本尊:阿弥陀如来坐像 秩父より招来された火難除けの仏様と伝承があり、相好円満の温顔、均整の取れた藤原期定朝様式を忠実に受け継いだ作品と鑑定され、木造寄木造で、法量は像高88.5cm、肘張り72.0cm、光背高142.0cmを測ります。背面中央に「聖蓮社冏誉蘆含和尚」の朱字銘が認められます。 先の伊奈家の頌徳碑(昭和48年指定=下に写真あり)に続いて 川口市文化財としての指定(昭和53年)をうけた。 |
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写真左は本堂前に立つ法然上人の像。近隣には浄土宗の寺は少ないので法然上人の像も始めて拝見した。 台座に法然上人の歌がある 月影のいたらぬ 里はなけれども ながむる人の 心にぞ すむ 【関連事項】 他の寺の宗派開祖聖人像特集 |
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釈迦如来像は 誕生像、苦行像、降魔像、説法像、涅槃像に造形化される。その内これは、涅槃像と呼ばれる像です。 沙羅双樹のもとで,多くの弟子や動物たちの深い悲しみの中,釈迦は身を横たえ80歳で入滅(2月15日・釈迦涅槃会)。この姿を「涅槃像」・「寝釈迦」と呼んでいます。像は頭を北向き、お顔を西向き、横臥する姿勢で右手の手枕をしますが右手の手枕でない涅槃像もあります。この涅槃像の作法を取り入れられたのが死人の北枕です。 【関連事項】 他の寺の涅槃像 |
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写真左の水子地蔵は新しい像。 |
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左の庚申塔は青面金剛立像が踏んでいる邪鬼が珍しい。普通、邪鬼の身体は左向きや右向きに横たわっている像がほとんですが、ここは、真正面を向いた顔の上を踏まれているのです。庚申塔をいっぱい見てきましが初めての形。 銘は正徳6年(1716=享保元年)とあるから、伊奈氏は忠達(ただみち)八代頃の供養塔だ。 真ん中は方誉順西禅定門と年号は承応四年(明暦元年=1655)とある。 右の石仏には上部に地蔵菩薩の銘がある。 |
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板碑について 板碑とは板石塔婆のことで、板佛・青石塔婆とよばれる。北海道から九州にかけ全国的に広く分布し、特に関東地方に最も多いが、形・材質には地方差がある。 おこりは、鎌倉時代から室町時代にかけて故人の追善供養であったが、後になると逆修供養として生前に死後の極楽往生を願って農民の間に広まる。上部を三角形にし、表面に梵字・名号・仏像などを彫り、下方に戒名・年号・建立者名などを刻む。とくに光明遍照十方世界念仏衆生摂取不捨の文字が目立つ。 本県の秩父・長瀞付近の青石(緑泥片岩)が利用されていることから青石塔婆の名がある。 ここの板碑は寺の境内や隣接の畑地から出土したもので之を調べることで、当時の人々の生活の様子や考え方を知ることができる。 此の中で最も古いものは、元徳二年(1330=鎌倉時代)の刻みがある。 平成4年3月 彼岸 二十四世 廣誉 |
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本堂の裏手にある、左の頌徳碑(しょうとくひ)は下端に現地説明文を掲載。頌徳碑は川口市指定文化財。写真上は伊奈氏の墓所。 |
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