普門院本堂
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聖観音菩薩 屋根の宝珠
シャチホコ
【普門院 施設案内】

 陀枳尼天社稲付の餅つき唄


妙覚山蓮華寺 真言宗智山派
  (稲付香取神社の元別当寺)
本尊:聖観音菩薩
住所:北区赤羽西2-14-20

徳治2年(1307=鎌倉時代)に創建されたと伝えられるお寺です。入口の山門と同様に本堂も中国風のデザインです。本堂の扉が僅かに開いていたので失礼して、中を拝見させてもらった。扉の先に障子があり、その奥に本尊の聖観音菩薩立像がほの暗い中に浮かび上がっていた。2mほどの木像のようです。
本堂の屋根のてっぺんには趣のある宝珠が避雷針を兼ねている。窓の上の壁には北斗七星を象ったという「九曜星」の紋章が見える(写真下)。この紋は関東の英雄・平将門の家紋だから何か縁があるのかも知れません。九曜星の紋は屋根瓦にもありました。この辺のこだわり方は相当なものだと感服しました。

【関連情報】「九曜星」の密蔵院(川口)

九曜星

九曜星の瓦

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【新編武蔵風土記稿】

普門院

新義真言宗、足立郡川口宿 錫杖寺 末、妙覚山蓮華寺と号す。慶安2年(1649)寺領14石2斗余の御朱印を賜ふ。
本尊正観音外に阿弥陀の銅像を安す。弥陀は何の年にや村内 香取社 の後なる岩窟より出現すと云、徳治2年の開基といへと明據なし。境内に建武、徳治、嘉暦等の古碑あればもしくは是等に元つきで云い出せる説にや。中興僧宥鎮文明18年5月21日寂す。庭中に垂枝の桜あり其枝数畝に庇蔭せり。 鐘楼、延享5年鋳造の鐘をかく。

鐘楼門

鐘楼門

正面入り口にある中国・台湾風の鐘楼門(昭和17から18年頃完成)で上が鐘楼になっている。
山門脇の階段を上れば階上の鐘楼が収まってる部屋の扉がある。
山門の石積みの内側には写真下の六地蔵が祀ってある。
六地蔵 鐘楼へ登る入口の扉
鐘楼へ登る入口の扉
妙覚山大塔 宝篋印塔
宝篋印陀羅尼(ほうきょういんだらに)を納めたことによる。五輪塔と同じく密教系の塔で、鎌倉期以降宗派を問わず造立されるようになった。一般的に、すべて宝篋印塔と呼ぶ。
インド文字の看板

妙覚山大塔

釈迦悟りの地であるインドブッダガヤの仏塔をモデルにした共同墓地(昭和41年8月完成)が、異国情緒漂う独特の景観をつくり上げています。 脇のプレートには「妙覚山大塔」とある。
上の写真は、正面入口の上に掲げられている看板です。これはインド文字でしょうか、意味は分かりません。
壁面には江戸時代の石仏(下の写真)を埋め込んである。中央は地蔵菩薩、右壁は釈迦如来、他の3像は如意輪観音で右手は頬杖思惟の姿、転輪聖王座(右膝を立て膝、左足裏を重ねる)の姿勢。女性を救う仏として信仰される。
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如意輪観音
向かって左壁の像
寛文10年(1671)
如意輪観音
如意輪観音
背面左側の像
正徳5年(1715)
如意輪観音
地蔵菩薩 如意輪観音
背面右側の像
明暦3年(1657)
如意輪観音

←背面の真ん中の像
地蔵菩薩
釈迦
背面右側の像
明暦3年(1657)
釈迦尊
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普門院の縁起

普門院の創建年代等は不詳ながら、徳治2年(1307)年の開基とも伝えられ、僧宥鎮(文明18年1486年寂)により中興されたといいます。慶安2年(1649)には14石2斗の朱印状を拝領、近隣に末寺東曜山真性寺、五智堂を擁していたといいます。
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真性寺坂 庚申塔
普門院の脇を通る道、今は存在しませんが末寺の真性寺の名が残る真性寺坂、右は庚申塔?

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