陀枳尼天
【普門院 施設案内】

 普門院 | 陀枳尼天社 | 稲付の餅つき唄

山門の手前にある神社。明治政府の神仏分離で寺域から出たのでしょう。陀枳尼天(ダキニテン)は近隣ではここだけ。元は生きた人間を殺害してその肝を食す女の鬼神であったが御仏の怒りに触れてその通力を封じられた。しかしこの鬼類は人の肝でしか命を繋げないため御仏は、むやみな殺生をしないようにと「半年先に命終する人間を予知する」通力を授けた。そして命終の後に肝を取るようにと諭したといわれる。
以来、陀枳尼天のこの予知の通力を得るために、多くの修験者や密教系僧侶達が信仰の対象とした。しかし元が元であるために、神なのか魔なのかが判然としない。
 ◆初午に餅つきの伝統行事が行われる。


真言密教では、稲荷神をインド伝来の女の鬼神・陀枳尼天(茶枳尼天・ダキニテン)と同一であるとしています。稲荷は二つに分類されます。五穀と養蚕を司る穀物神・農耕神としてのウカノミタマ(宇迦之御魂・倉稲御魂)で稲荷明神として知られています。このお稲荷さん(稲荷神)は、京都の伏見稲荷大社が信仰の発祥神社で、一般に伏見稲荷として知られ、全国三万余りの社の総本社となっています。この社と合わせ、佐賀・祐徳稲荷大社、茨城・笠間稲荷神社を日本三大稲荷と呼びます。
もう一方は、神社ではありませんが、愛知・豊川稲荷(正式名:円福山妙厳寺・曹洞宗)は仏教のダキニテンを稲荷神として祀ります(江戸の名奉行・大岡越前守が信仰したことで知られます)。開山の東海義易の師寒厳義尹に始まる話、義尹が宋から帰朝するときに、突如として陀枳尼天が現れて「以後、義尹を守護する」と告げた。それに感激した義尹は陀枳尼天を自刻し、妙厳寺の山門に鎮守として安置したのが始まり。開山時には、さまざまな奇跡を起こして便宜をはかったといわれる。

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