錫杖寺山門 |
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写真手前が駐車場になっています。 門に掛かる看板には「関東八十八霊場 第七十六番札所」。 塀に線が五本入っていますが筋塀といい、筋は定規筋と言います。寺の格の高さを表すもので、五本線が最高です。京都の御所、門跡寺院、高家の家の塀にはつけられているそうです。 写真中段の2枚は12月末に撮影したもの。たくさんの提灯が本町ロータリー交差点あたりから続きます。錫杖寺は大晦日の除夜の鐘から、新年の元朝参りへと大勢の参拝者でにぎわう。下端は花祭りの様子。 |
元朝詣りは大勢の人で賑ぎあう | |
お釈迦様の誕生日の4月8日には甘茶を掛けて祝う |
地蔵尊院 大慈山地蔵尊院延命寺 【本尊】延命地蔵菩薩 |
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地蔵尊院は、元和4年(1618)良栄法印によって開山された。元々、錫杖寺の門前にあったが、錫杖寺が将軍家日光参詣の時の休憩所となり門前を広くするために、現在の川口神社へ移築された。しかし、明治の神仏分離令が発布された年に再び錫杖寺へと移築された。その後、錫杖寺の塔頭寺院として住職不在のまま年月が過ぎていたのだが、平成6年に現住職が再興し現在に至っている。本尊は、石仏の延命地蔵菩薩。地域住民より錫杖寺の地蔵堂と親しまれ、医療の発達していなかった時代には、万病を治癒させてくれる霊験あらたかなる地蔵様として参詣が絶えることがなかった。 下は新春特別大護摩供ご修行。 |
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川口天満宮 |
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川口天満宮の縁起は社前に掲示されている(下に転記)。それによれば、天神社の御神体は道真公の自作で、昔、天神社の傍らにあった梅の木の根元から掘り出されたと伝えられる。 天満宮内の宮殿には三体が分かれて祀れている。正月に開扉されていたので、どれが道真公自作の像だか思案してみた。中央の像と、土に埋まっていた木造らしい向かって右の像を掲載しました。これは、大変珍しい写真だと思います。 |
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福禄寿堂(川口七福神) 弁財天(本堂) |
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川口七福神案内(全て紹介してます) 堂の中を拝見すると例の頭の長い福禄寿の像が安置されています。像をよーく見れば、何だか埃がかぶっています。これもまた、ありがたいことで・・・・ 【福禄寿】 福禄寿は長頭短身・童顔で髭の長い温和な容姿。人々の福(幸福)と禄(財物)と寿(寿命)の三つの福徳を恵む神で、裕福で安定した生活、健康にして長命、平穏無事といった幸を授ける、福智無量のいわば生活全般を司る神である。 長頭で経巻を結んだ杖を持つ姿は叡智や文雅、学業成就、人望の表れである。 年齢は数千年と言われる仙人で、不老長寿の秘薬を入れた瓢聾(ひょうたん)を携え、長寿の象徴である鶴を侍らせる延寿吉祥の神でもあるが、ここから、人の命を支配する南極星の化身であるとも言われて寿老人と混同されることが多い。本堂の中には写真下の弁財天を見付けた。 |
籠形の六地蔵 |
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灯籠形の六地蔵。六地蔵の足下には小さな地蔵がたくさん並んでいる。 写真下の真ん中は観音菩薩(左)、地蔵菩薩(右)。 写真下の右は2008年に登場した「かわぐち地蔵」。 |
鐘楼 大師像 |
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除夜の打鐘は午後11時に整理券配布、午前0時より打鐘開始(福引きお守りあり)。近所の騒音に配慮して百八の二回りで終了。《銅製の梵鐘》この鐘楼に吊られている梵鐘ではないが、銅鐘が別途展示してある。川口の鋳物師であった長瀬治兵衛守久が寛永18年(1641)に作った銅鐘は、川口鋳物史上初期の作品として有名で県指定の文化財になっている。 施主は扇ヶ谷上杉の子孫であり太田道灌の旧臣である宇田川一族で、川口宿の名主を代々務めていた。 錫杖寺は真言宗だから開祖の弘法大師を祀る寺が多い。 大師像特集ページ |
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十三仏 |
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【十三仏】 不動明王(初七日),釈迦如来(二七日),文殊菩薩(三七日),普賢菩薩(四七日),地蔵菩薩(五七日),弥勒菩薩(六七日),薬師如来(四九日),観世音菩薩(百カ日),勢至菩薩(一周忌),阿弥陀如来(三回忌),阿しゅく如来(七回忌),大日如来(十三回忌),虚空蔵菩薩(三十三回忌)。 左下の写真は良く見られる十三重塔だと思って写真を撮りましたが、数えると十八重あります。多宝塔と言うのかも知れない。 釈迦の入滅後は仏像崇拝は禁止されて400年ほどは写真の塔(遺骨を納めてある)とか足跡を拝んでいたと言われます。 《四国八十八ヶ所お砂踏み》本堂内において、正月三が日限定で、四国八十八ヶ所のお砂と御本尊様を御祀りし、お参りが出来ます。この「お砂踏み」は、四国八十八ヶ所霊場をお参りしたのと同じだけの功徳があるといわれております。 写真下の御守りも無料で頂けます。大きさ2×6センチ。 |
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鋳造地蔵 |
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山門を入ってすぐの左側の堂(写真下)内にある。さすがは川口、鋳物製の地蔵尊だ。 錫杖寺の解説を引用すれば、川口市で長年鋳造を業としてきた青山某の遺言によって似顔そのままを鋳造して安置したことから、俗に青山地蔵と呼ばれ町の人々から除災延命、商売繁盛の霊験顕かな地蔵尊として信仰され、今も供花が絶えません。 【関連情報】 →鋳物製の弘法大師像が善光寺(川口)にあります。 リンク 日光御成道 |
葵の紋章を色々集めてみました |
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境内にある葵の紋章を集めてみました。 (左)屋根のこの部分をなんというのか知りませんが、金色に輝く紋章と、すぐ上の丸い瓦にも分かりにくいが葵の紋章がずらり並んでいます(1個拡大)。 石灯籠は一対あり、一基づつ別人が奉献したもよう。右のは寛延4年(1751)に鳥羽城主の稲垣昭賢が建立したもの。鳥羽城は昭賢(あきかた)が享保10年(1725・徳川吉宗の時代)に下野烏山から3万石で入城し以後明治まで続いた。 他にもまだあるかも知れません。 【葵紋寺院関連】全棟寺(川口)、乗蓮寺(赤塚) |
写真は右側の灯籠、胴体の竿と呼ばれる部分を拡大して銘を読むと、東叡山(寛永寺)有徳院殿(吉宗)尊前
寛延四年(1751)辛未年六月二十日 志摩国鳥羽城主に葵の紋章があり、笠の上にもあります。左側の灯籠は日付までが同じだが名前が一部判読できない、 「従*座市*下総守藤原姓追墓」らしい。 |
賽銭箱 | 天水桶 | ろうそく立て |
本堂手前天上幕 | 掲額の四方の中心に葵紋 | 天満宮屋根頂上 |
塀の屋根 | 鐘楼屋根瓦角に四つ | 屋根瓦にはたくさん見える |
瀧山の墓(大奥御年寄) | |||
瀧山の墓は本堂裏手にある。写真中央がそれで、東向きに建ち「瀧音院殿響誉松月祐山法尼」と刻まれている。左は侍女の中野、右は叔母の染島の墓。 墓碑背面の銘によると、東京府士族 東京南伊賀町(現・新宿区若葉) 七代目主 大岡権左衛門長女 徳川家大奥老女俗稱 瀧山 行年七十一歳、とある。 滝山は16歳で大奥へ上がり、御年寄に昇進。今でいう総取締役で大奥第一の重役。13代家定、14代家茂、15代慶喜の三代に渡って御年寄を勤める。大政奉還のとき滝山は250人の奥女中に拝領物を与え、江戸城大奥の最後の締めくくりを行う。江戸城から「滝山の駕籠」で川口市朝日町へ、その駕籠も錫杖寺に保存されているという。 何故、川口かといえば、滝山に仕えていた侍女・中野の生家を頼って来たようです。晩年には婿養子を迎えて「滝山」の苗字を名乗らせます。明治9年(1876)1月14日71歳で逝去。 先日テレビで子孫の方が出られていたが、ゆかりの品などは処分してしまい、何も残っていないそうだ。 |
錫杖寺へは川口駅から800m。 赤羽駅東口発 [赤21]鳩ヶ谷公団住宅行 または [赤20] 市立医療センター行 で「川口市立文化財センターバス停」下車2分。 車の場合は一方通行の向きさえ気を付ければ駐車場は広いので心配は要らない。 【関連情報】 錫杖寺は徳川家日光参拝の折は御休息所となっていた。→日光御成道 |