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 三十三観音の説明
三十三観音、観音さまがその姿を変えて人々を救済するという三十三応現身にちなんで選定されました(法華経普門品に説かれる)。それぞれの起源はインド、中国、日本とさまざまで、いつ、誰が定めたのかハッキリしません。「観音霊場三十三所巡礼」は三十三箇所の観音菩薩を巡礼参拝する信仰。犯した罪業が消滅し、極楽往生できると言われる。
写真の解説は出典『大恩寺小冊子』他より
 
【施設案内】
本堂山門水子堂|三十三観音|人動車観音
聖観音釈迦・聖観音・弁天像地図
中国の自然石に中国では五指に入る石仏師が彫刻

三十三観音左側 三十三観音右側

右手に柳の枝を持つ姿で、別名を薬王観音といい衆生の除病を本誓とする観音です。揚柳の枝で悪病を祓い清める力があるという信仰は、唐代漢訳の『陀羅尼集経(だらにじつきょう)』等に見られます。
(1) 楊柳観音 ようりゅうかんのん
仏法を守護するため、天竜夜叉に変化した姿で、天空の渦巻く雲の中の竜の上に、結跏趺坐と立像の二種があります。中国において著しく発達を遂げた空想的霊獣「竜」、これを観音の威徳にたとえました。
(2) 龍頭観音 りゅうずかんのん
岩に坐り手に経巻を持ちます。左手は膝の上に置く姿で、この観音の奉持する経典には、如来の説法の内容がすべて込められており、声聞を教化する姿を現します『観音経』に「まさに声聞のみをもって得度すべきものには、すなわち声聞の身を現じて、ために法を説く」とあります。
(3) 持経観音 じきょうかんのん
円光とは、仏菩薩の頭頂や背後から放たれる円輪の光明(頭光、頂光、後光、常光などともいわれます)。この光明の威徳を具現しているのが円光観音で、観音の清浄で智慧に満ちた大慈大悲の光を象徴しています。『観音経』の偈文「無垢清浄の光ある、慧日はもろもろの闇を破し」とあります。
(4) 円光観音 えんこうかんのん
飛雲上に坐す姿で、戯は無礙の意で、自在な神通。遊戯とは、仏菩薩が自由自在に人を導き、それによって自ら楽しむこと。『観音経』に「あるいは悪人に逐われて金剛山より墜落するも、かの観音の力を念ずれば一毛をも損することあたわず」とあります。
(5) 遊戯観音 ゆげかんのん
サンスクリットの「白い衣をまとう」という意味から白衣観音という名前がつきました。白住処菩薩あるいは白衣観音などと称されます。白は清浄菩提心の意で、息災除病、安産育児等に御利益があると信仰され、たくさんの変化図像が生み出されております。
(6) 白衣観音 びゃくえかんのん
清浄な池の中の蓮華の上に坐臥することからこの名があります。完全に横を向いている姿が特徴です。『観音経』に「小王の身をもって得度すべきものには、すなわち小王の身を現じて、ために法を説き」とあり、白衣観音によく似た像形であります。
(7) 蓮臥観音 れんがかんのん
俗塵のおよばない深山幽谷の岩上に静かに安座する姿で、『観音経』に「たとい害する心を興して大なる火の坑に推き落とされんも、火の観音の力を念ずれば火の坑は変じて池とならん」とあります。悪意に満ちた火焔が瀧の飛瀑の力によって鎮火し清浄な心にさせてくれます。
(8) 瀧見観音 たきみかんのん
苦を除き楽を施す観音で施楽観音ともいいます。抜苦与楽は観音の本誓であり、それを具現したのが施薬観音であります。『観音経』に「衆生の困厄を被りて、無量の苦の身に逼らんも、観音の妙智の力は、よく世間の苦を救わん」とあります。
(9) 施薬観音 せやくかんのん
魚売りの美女が観音様であったという中国の説話にもとづくものです。邪悪な鬼や毒蛇に遭遇しても、この観音を念じればたちまち無害になるといわれています。特に安産を始め女性特有の煩悩を除去するとともに、航海の安全と大漁をもたらす観音であります。魚濫観音と馬郎婦観音とは同体とされています。
(10) 魚濫観音 ぎょらんかんのん
岩に坐り柳の枝を持ちます。常・楽・我・淨の四徳を備え優れているので、徳王と名づけられました。『観音経』に「まさに梵王の身をもって得度すべきものには、すなわち梵王の身を現じて、ために法を説き」とあります。帝釈天とともに仏法を守護し、釈迦如来に悟りの内容を布教することを勧められたという観音さまです。
(11) 徳王観音 とくおうかんのん
月下の水面に浮かぶ蓮の華弁の上に立って合掌されているのは、月を大自然の象徴とし、その月と一体となっていることを表しています。我執や妄念をみじん持たない自然の移り変わりが悟りの中心であると訴えておられる観音様です。
(12) 水月観音 すいげつかんのん
水上の蓮華に坐る姿は、船に乗っているように見えます。「もし大水の漂うところとなるとも、その名号を称すれば、すなわち浅き処を得ん」とあります。水難からお助け下さる観音で、空海、円仁、道元の祖師方が航海中、観音の守護を得たとする説話があります。
(13) 一葉観音 いちようかんのん
原型はシヴァ神といわれています。シヴァ神には、毒を飲んで頸が青く変色した話があります。青頭・青頂とも呼ばれます。『観音経』の「あらゆる一切の衆生、もし怖畏厄難があっても、我が名を聞けば、みな苦を離れ解脱を得て、速やかに無上正等菩提を証するであろう」とあります。慈母の如くに、一切衆生の災難をとりはらい、繁栄を与えてくださる観音であります。
(14) 青頸観音 しょうきょうかんのん
左手に蓮華を持ち、岩上に坐する姿で、『観音経』に「まさに天の大将軍の身をもって得度すべきものには、すなわち天の大将軍の身を現じて、ために法を説く」とあります。観音の威厳と徳望とが、まさに天の大将軍のごとくすぐれていることを示し、正しい教えを広める威徳に因んだ名であります。
(15) 威徳観音 いとくかんのん
「呪説ともろもろの毒薬に、身を害せんとせらるるもの、かの観音の力を念ずれば、還りて本人に著かん」とあります。蓮華月輪に任し、頭上に大宝冠を戴き、二十臂(ひ=腕)それぞれに持物を持っています。
(16) 延命観音 えんめいかんのん
羅刹の難を救う観音様です。一人でも祈れば他の人も救われるという教えです。衆宝は宝がたくさんあると言う意味です。「もし百千万億の衆生ありて、宝を求めんがために大海に入るに、たとい黒風のその船紡を吹いて羅刹鬼の国に瓢堕せしむとも、その中に、もし、ないし一人の観世音菩薩の名を称するものあらは、みな羅刹の難を解脱することを得ん」とあります。財宝は私の心の中の宝、つまり仏性を意味しております。
(17) 衆宝観音 しゅうほうかんのん
毒蛇の住む岩戸に坐ります。江戸時代に日本で創案されたと言われています。毒蛇の悪気も観音様の力で消滅することを表します。岩窟の中に端坐する姿で、「トカゲおよびマムシの、気毒の煙火の燃ゆるごとくならんも、かの観音の力を念ずれば、声に尋いで自ら回り去らん」とあります。
(18) 岩戸観音 いわとかんのん
海辺の岩にもたれ掛かり坐っています。救いの法則が衆宝観音と似ています。遭難者を能く安静にするから能静観音といいます。七宝を求めて船出した海の遭難者を救ってくださるといわれ、羅刹の難など諸々の災難や煩悩を能く祓って静寂を得させ、彼岸に向かわせようとする観音であります。七宝とは、私達の心の中の仏性という宝を意味します。
(19) 能静観音 のうじょうかんのん
阿耨はサンスクリット語で清涼の池という意味で、ヒマラヤ山中の北側にある想像上の澄んだ池で、八功徳水(はっくどくすい)で満たされています。この湖の信仰から発展して、水難の禍から救ってくださるという観音であります。「あるいは巨海に漂流して、龍、魚、諸鬼の難あらんも、かの音の力を念ずれば、波浪も没することあたわざらん」と。阿耨遠池の龍王(観音)が巨海の諸難を救ってくれる意であります。
(20) 阿耨観音 あのくかんのん
阿麼堤は音写といわれますが原語が不明です。一切衆生のおそれる心や不安を取り除いて安心を得させ、救済するということから、無畏観音、無畏観自在菩薩とも称されています。またおそれをとり去る施無畏印のお姿も多くあります。
(21) 阿麼堤観音 あまだいかんのん
葉衣とは「パルナ樹の葉をまとうシャバラ族の女性」の意で、この観音のおん名を一遍誦すると、自身が護られ、二遍は伴侶を護り、三遍誦すると一家を護るといわれています。また信者が居住する地域を罹病と罹災から守り、統治者をも守護するといわれています。
(22) 葉衣観音 ようえかんのん
別名を香王観音もしくは高王観音とも呼ばれます。水難の危機から不思議な火の光に導かれて救われるといわれ、災難、厄除けの観音として親しまれています。両手で瑠璃壺(香炉)を持ち、水に浮かぶ蓮弁の上に立つ姿です。
(23) 瑠璃観音 るりかんのん
原型の起源は古く、広範囲の神々と結び着いています。雲の上に立ち、右手は衣裳の中に入れて胸の下、左手はその下に置いた慈母神として崇められた女神であります。多羅は眼精、瞳を意味し、救いの母と訳されているように、慈母のやさしい眼で衆生を彼岸へ導き、煩悩の苦海より救ってくださいます。
(24) 多羅尊観音 たらそんかんのん
中国の故事より生じた観音で、蛤抑中に坐することから俗に「ハマグリ観音」ともいい、唐の文宗帝が蛤刷を食べようとしたが、殻が開かないので香を焚いてこれに祈ると、にわかに観音の姿となった伝説によります。室町時代の、蛤の草紙に登場する童男童女が有名であります。
(25) 蛤蜊観音 こうりかんのん
六時とは、一日を六つ(農朝・日中・日没・初夜・中夜・後夜)に分けることをいい、古くインド以来、この六時に勤行が行われました。唐の善導は六時に阿弥陀仏を礼拝讃歎したことから、四天王寺(大阪)の六時堂は六時に諸仏を礼讃するための道場であります。六時観音という名は、四六時中、つねに衆生を哀れみ慈しんで守護してくれる意味です。
(26) 六時観音 ろくじかんのん
観音の特徴である平等普遍の大慈悲心を強調した名称で、「まさに大自在天の身をもって得度すべきものには、すなわち大自在天の身を現じて、ために法を説く」とあります。大自在天は色界の諸天の最上である色究寛天に住し、密教では大日如来の応現ともされております。
(27) 普悲観音 ふひかんのん
人の心を開き教え諭すため、妙麗な婦人となった観音様です。中国の伝説より生じた観音。馬氏の妻に応現した観音の意で、妄念や煩悩にとらわれて仏教を信じない凡愚の人の心を開き教え諭してくださる、という観音であります。鎌倉時代にすでに信仰されていました。馬郎婦は『観音経』の婦女身のことです。
(28) 馬郎婦観音 めろうかんのん
無念無想に合掌する最高の境地を示します。「心のめざめが速やかであれ」と、まず仏様が拝んで下さるという教えです。『観音経』に「婆羅門の身をもって得度すべきものには、すなわち婆羅門の身を現じて、ために法を説く」とあり、私達が仏様を拝むまえに、仏様が先に私達の心のめざめが速やかであれ、と拝んでくださるおしえであります。
(29) 合掌観音 がっしょうかんのん
雷を制するように雲に乗ります。とどろく雷鳴や降りすさぶ大雨雹(ひょう)をしずめ治める、つまり空にかかわる災難から救ってくださる観音であります。一如とは、不二のこと。故に観音と一体になりきりたいと切望する願いを表した名前であります。
(30) 一如観音 いちにょかんのん
執金剛神、俗に仁王さまの変身で仏を守護されるといわれています。不二とは、慈愛の形相の観音と、念窓の形相の仁王は別々ではなく、同じ仏さまであることを意味し、迷いと悟り、有と無など二元的なものを越えて、絶対平等の境地に衆生を向かわせようとしています。
(31) 不二観音 ふにかんのん
雪のように白い肌の美麗清純な容姿の童男が童女に身を変えて蓮華を捧げながら現れ、人の浄菩提心を、固い蕾から美しく花開くように開かせることを本誓とする観音の心をあらわし、心は姿を求めることを象徴しています。
(32) 持蓮観音 じれんかんのん
灑水とは香水をそそいで清めること。昔毘舎離の町において大悪病が流行したとき、長者は如来の教えに従って観音を請い、楊枝と浄水を献じました。すると観音は衆生を哀れみ、三宝と観音の名を称えることを教え、さらに神呪を説き、これを受持する者は病気を免れることを示しました。
(33) 灑水観音 しゃすいかんのん

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