龍神像(見沼田んぼ)
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龍神象spacer
龍神象
龍神象(東川口駅駅前広場)
     浦和東口ロータリークラブ設置

JR武蔵野線・東川口駅の駅前広場に置かれている龍神象です。見沼地区には数多くの龍神伝説があります。

「見沼の龍神灯」
将軍吉宗の命を受けた伊沢弥惣兵衛為永は、このあたりの見沼を干拓し、利根川から代わりの水を引く工事をしていました。ある晩のこと、為永は夢をみました。見沼の主で龍神という美しい女が現れ、私の住む所がなくなる、新しい住家を探すまで工事を中止してほしい・・・・・・と言います。来春の稲の作付けに間に合わせるために工事は一日も休めません。そのうち工事に負傷者や障害が続出し、為永も病に倒れてしまいました。するとまた夢に先ほどの美女が現れ、お前の病を治してあげるから、私の頼みも聞いてほし・・・・・・と言いました。困った為永は、龍神を慰めるため龍神灯をお供えしました。この龍神灯は、誰がつけるのかわかりませんが、為永の宿舎にしていた片柳の万年寺の大松や、氷川女体神社の大杉に、あかあかと、ともったということです。
  平成3年3月 さいたま市

関東郡代伊奈氏のいた川口市赤山城にまつわる伝承では、庭園の池で伊奈氏が舟遊びを楽しんでいたところに山蛇が来て、見沼の竜神であると名乗り、住処を追われた怨みによって伊奈家に災いをもたらすと告げたという。


竜神マルコ 所在地:さいたま市豪謫部領辻三角下

左の写真2枚は違う個体です。特定非営利活動法人「エコ・エコ」が制作展示している「昇天竜」で、名前を「竜神マルコ」と言う。全長は15メートル、葦(アシ)で作られている。
名前のマルコはエスペラント語で湿地を意味するそうだ。NPO法人エコ.エコの保全している湿地を守ってくれる神様なのである。
場所は、下の地図で見沼代用水東縁沿い、総持院国昌寺の間にある。
竜神マルコ

地図

下の掲示版は国昌寺の側にある。文章は下記に写した。

 

左写真は「見沼の龍神灯」解説版。内容は一番上の竜神欄にあります。

江戸時代中頃、溜井の干拓及び見沼代用水開削工事に際して工事を担当した伊沢弥惣兵衛が詰め所を上図の万年寺に設けたといいます。この伊沢弥惣兵衛と見沼の竜神にまつわる伝説がたくさん残されています。

似たような造形物が安行地域にあります。
左の写真は安行・道の駅「樹里安」館内に展示さている「蛇像」です。
安行原の蛇造り】は川口市大字安行原で毎年5月24日に行われ、五穀豊穣・天下太平・無病息災なども祈願するため、長さ10メートルの蛇をつくることから始まる祭りです。口の中には近くの密蔵院のお札入っている。
安行地域は大きな沼はありません。代わりに池に棲む蛇が祭祀の対象になっている。

竜神祭

見沼竜神祭
氷川女體神社

【氷川女體(体)神社】

当神社が、昔より見沼の一番深い所に神輿を乗せた舟を繰り出して、見沼の主の竜神を祀るために「御船祭」と言う祭りが行われていました。
ところが、見沼を干拓して田んぼにすることになり「御船祭」が出来なくなってしまった。
氷川女體神社は、そのことを幕府に告げると、神社の前に見沼の水を残し、出島をつくりお祭りの場を残してくれたのです。
見沼の竜神は干拓と同時に天に昇りこの地を見守ってくれている。そして、時折、残された沼で泳いでいるのかも知れません。

龍神祭はその後「御船祭」から「磐船祭」と名を代え、現在は「祇園磐船竜神祭」として毎年5月4日に行われています。
さいたま市緑区宮本2-17-1(旧三室村)

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