錫杖寺 川口市本町2-4-37
錫杖寺の由緒に「末寺53ヶ寺を有する名刹」とあります。浮間の末寺・観音寺→万蔵院(赤羽北)とつながり。赤羽の末寺・真頂院→真頂院の僧運珍が小豆沢に隠居寺に建てた東光院(現龍福寺)、諏訪神社も真頂院持ちでした。
元和8年(1622)2代将軍秀忠、日光社参の折、御休息所となり、以来これが吉例となり、徳川家と深い関わりをもつことになった。慶安元年(1648)3代将軍家光より金子、材木を拝領し御成門を建立。
大奥最後の御年寄り「滝山」が錫杖寺に葬られている。滝山は16歳で大奥へ上がり御年寄に昇進。13代家定、14代家茂、15代慶喜の三代に渡って御年寄を勤める。大政奉還のとき滝山は250人の奥女中に拝領物を与え、江戸城大奥の最後の締めくくりを行う。江戸城から「滝山の駕籠」で川口市朝日へ、その駕籠も錫杖寺に保存されているという。
錫杖寺は大晦日の除夜の鐘から、新年の元朝参りへと大勢の参拝者でにぎわう。
4月8日はお釈迦様の誕生日で花祭り
地蔵尊院の本尊は石仏の延命地蔵菩薩。医療の発達していなかった時代には、万病を治癒させてくれる霊験あらたかなる地蔵様として参詣が絶えることがなかった。
天満宮は天満大神(菅原道真公)(845~903年)を祀る社である。当山に安置する天満宮は、もとは境外西の方にありご神体は今からおよそ1,100年前道真公自らの作として伝えられ、梅樹の根より穿出(せんしつ)せしものという。
福禄寿は長頭短身・童顔で髭の長い温和な容姿。人々の福(幸福)と禄(財物)と寿(寿命)の三つの福徳を恵む神で、裕福で安定した生活、健康にして長命、平穏無事といった幸を授ける。川口七福神
川口市で長年鋳造を業としてきた青山某の遺言によって似顔そのままを鋳造して安置したことから、俗に青山地蔵と呼ばれる。
瀧山の墓は本堂裏手にある。写真中央がそれで、東向きに建ち「瀧音院殿響誉松月祐山法尼」と刻まれている。左は侍女の中野、右は叔母の染島の墓。
墓碑背面の銘によると、東京府士族 東京南伊賀町(現・新宿区若葉) 七代目主 大岡権左衛門長女 徳川家大奥老女俗稱 瀧山 行年七十一歳、とある。
滝山は16歳で大奥へ上がり、御年寄に昇進。今でいう総取締役で大奥第一の重役。13代家定、14代家茂、15代慶喜の三代に渡って御年寄を勤める。大政奉還のとき滝山は250人の奥女中に拝領物を与え、江戸城大奥の最後の締めくくりを行う。江戸城から「滝山の駕籠」で川口市朝日町へ、その駕籠も錫杖寺に保存されているという。
何故、川口かといえば、滝山に仕えていた侍女・中野の生家を頼って来たようです。晩年には婿養子を迎えて「滝山」の苗字を名乗らせます。明治9年(1876)1月14日71歳で逝去。
先日テレビで子孫の方が出られていたが、ゆかりの品などは処分してしまい、何も残っていないそうだ。
《四国八十八ヶ所お砂踏み》
本堂内において、正月三が日限定で、四国八十八ヶ所のお砂と御本尊様を御祀りし、お参りが出来ます。この「お砂踏み」は、四国八十八ヶ所霊場をお参りしたのと同じだけの功徳があるといわれております。写真下の御守りも頂けます。大きさ2×6センチ。