略縁起によれば、当山は聖武天皇の勅願にて、行基の開創。本尊薬師如来は慈覚大師御作、学寺領は清和天皇、御再興は文徳天皇、ゆえに三勅願寺又は慈林寺というと伝えられている。明治以前は境内地36,300u、30石の御朱印地があり、今も当山100mの位置に「竜灯の池」更に南へ100mのところに「飛鳥」、東へ150mのところに「仁王橋」北へ150mのところに「北大門跡」などがある。当寺の南東側を法印前といい、西側の低地が堂下と言う地名である。また法印前より更に南東の地を赤井といい、慈林寺の閼伽水を汲む井戸の意号で「あかい」の呼び名が生まれたといわれている。その他「慈林」の地名と「慈林寺」が同じなど、寺と周辺地名のことからも、川口市内最古の名刹と言われる所以である。現存する建物は、昭和50年落慶の大本堂やを含めて、昭和年代に建立したものものばかりであり、この中で仁王門だけが徳川末期の文政8年(1825年)の建築である。 左は屋根のてっぺんの相輪。各部の名称は、上から宝珠(仏舎利で釈迦の骨を納める)、竜車、水煙(火事を避けるための水煙)、九輪(宝輪)、受花(請花)、伏鉢、露盤(伏鉢の土台)。 |
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薬師堂と慈林薬師 |
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地蔵堂 |
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地蔵堂の中をのぞいたら「かわらけ地蔵尊」の看板とお地蔵さんが薄暗い中にいました。案内板などはないため由緒は分かりませんのでネットで調べてみました。 「かわらけ地蔵」で調べると、かわらけとは素焼きの皿、京都の神護寺、地蔵院近くで谷へ向かってかわらけ投げ、が上位でヒットする。次いで、東北地方の地蔵で耳の神様として信仰されており、参拝する人は甘酒をかわらけ(素焼きの杯)に注いで供え、耳の病気の治癒を祈願した話があった。おそらく、かわらけに何かを盛って参拝すれば御利益があるのでしょう。 下右側の写真は不動堂の札が掛かってる。ガラス越しに中を見ると、真言宗の護摩祈祷を行うようです。 |
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仁王門の像四体 |
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水子地蔵 | 弘法大師像 | |
鐘楼 | 稲荷神社 |