古峯原金剛山瑞峯寺 栃木県鹿沼市草久2239
今から凡そ1250年前、聖武天皇の御代、天平宝字元年(757年)に、日光山を開いた勝道上人(しょうどうしょうにん)によって当山奥之院三昧石(三枚石)が開創されました。
金剛山という名称は、弘法大師が上人の遺弟道珍法師に金剛界の大法を授けた説と、建武年間(1334―1335)に後醍醐天皇の勅願によって大和の国(奈良県)葛城別当賢道(けんどう)僧正によって、葛城金剛山の分霊を奉じて本尊金剛童子を祀った説があります。
中古以来日光山発展と共に古峯原も峯修行に多くの修行者来山し、興隆してまいりましたが、明治初年の神仏分離令による政体の変更、大正8年の大洪水による本堂並びに庫裡、客殿の流出等、諸般の事情により、当山も一時哀徴の一途をたどりましたが、先師の努力により、霊域も回復、有縁の浄地を現在地に求めて、堂宇を建立、法燈を護持して今日に至っております。
  (瑞峯寺サイトより)


蓮華鳥居
本堂への会談
蓮華鳥居(お寺なのに?)_2 本堂への会談_3
蓮華鳥居
像の位置マップ
不動明王三像_4 像の位置マップ
勝道上人 真言宗醍醐派祖 聖宝(理源大師)
勝道上人_5 真言宗醍醐派祖 聖宝(理源大師)_6
烏天狗 古峯原金剛山由緒
烏天狗_7 石に刻まれた文章はテキストで下記にあります_8

大天狗 蔵王権現 明力天狗
大天狗_9 蔵王権現_10 明力天狗(京の豆腐・民話の主)_11
明力天狗

明力天狗

  大雄院の明力和尚、または明力さまといえば、「京の豆腐」の民話伝説で、子ども達にも親しみ深い。
  「京の豆腐」とは、明力さまがまだ小僧だった頃、先輩の兄弟子から「今日の豆腐を買ってこい」と言いつけられたのに、それを京の豆腐と聞き違い、天狗の助力によって京都の豆腐を買ってくる話である。これは明力和尚自身が霊力を身につけ、怪力を持ち、天空を自由に飛翔し得る能力を備え、変化自在の霊術を会得していたことを裏付けるもので、言い換えれば明力さま自身が天狗そのものであったと言うことである。大雄院の守護として明力鎮守堂を建立し、明力菩薩を祀ったのは二世信中永篤和尚である。
明治16年1月、宮田杉室の地にあった大雄院が七堂伽藍をまぬがれ、のち現在の地に移された。明力さまは霊験あらたかな大雄院の守護仏である。

不動明王 不動明王がおそ松君の「シェ〜」 役行者(役小角)(神変大菩薩)
不動明王_12 不動明王がおそ松君の「シェ〜」 役行者(役小角)(神変大菩薩)_13
観世音菩薩 弁財天 弁財天
観世音菩薩_14 弁財天_15 弁財天_16
結跏趺坐した如来のような観音 弘法大師 不動明王
結跏趺坐した合掌観音_17 弘法大師_18 不動明王三像_4b
錫杖 役行者(役小角)(神変大菩薩) 狛犬
錫杖_19 役行者(役小角)(神変大菩薩)_20 狛犬_21
錫杖
大天狗下駄_22 金剛童子_23 一粒万倍釜_24
七福神
稲荷社_25 地蔵菩薩祠(真ん中の像)_26 七福神_27

日光修験道の瑞峯寺縁起

 夫れ、当山はこれより西方約10キロ海抜1400m山頂に
古峯ヶ原よとゆう霊域大原野あり。其の中央に峨々(かか)
たる大岩窟あり。これ即ち古峯ヶ原金剛山(当山奥之院三昧石)にして、今を去る壱千二百有余年勝道上人32歳の時なり。降臨の金剛大権現(金剛童子尊)を安置し奉つる。本地不動明王なり。内心に慈悲深重をたたえ、外相には悪魔降伏念怒の威厳を現せり。かるか故に火難盗難全ての災難を未然に払い、家内安全 福徳円満等最大の利益を授けたまう。特に火防の霊尊として、霊験顕著なり。勝道上人の道弟道珍法師に峯中法流の大法を授けて この霊地を修験の根本道場とす。後ち、後醍醐帝勅願により大和国葛城別当賢道僧正、建武年間、葛城金剛山の分霊を奉じて、古峯ヶ原の峯に修行す。故に当山の、金剛山と称する真実因なり。
爾来、連綿と続けし、修験の法燈も、明治初年の政体の変更且つまた大正8年大洪水による、本堂及び境内地の流出等諸般の事情により、当山も、時衰退微の一途をたどりしも、先師の努力にて、堂宇も、建立、法燈を護持して今日に至る。
金剛山々主 清源記す
水戸松苑