志村熊野神社(城山熊野神社) 
熊野神社本殿

志村城跡と熊野神社
  志村城は、康正2年(1456)に千葉自胤(よりたね)が赤塚城に入城した際、一族の千葉隠岐守信胤が入城して、赤塚城の前衛拠点とした。
  本丸は志村小学校を中心とする一帯の丘陵地で、出井川と荒川をめぐらせ"守るに易く攻めるに難し"といわれる堅城であったが、大永4年(1524)に北条氏綱に攻められて落城した。
  熊野神社は志村城二の丸にあたり、社殿は古墳城に建てられている、長久3年(1042)、志村将監が紀州から勧請したと伝えらており、千葉自胤が志村城の守護神と定めた。現在の社殿は昭和32年に改築されたものである。社殿の西側には今でも空濠の跡を見ることができる。
  平成5年2月 板橋教育委員会
 
熊野神社由緒
御祭神 伊邪那岐命(いざなぎのみこと
      伊邪那美命(いざなみのみこと)
      事解之男命(ことさかのおのみこと)
例祭日 9月19日
後朱雀天皇の長久3年(1042)、この地の豪族志村将監が紀州から勧請したと伝えらています。
天喜年中八幡太郎義家が父頼義と共に奥州追討のとき武運長久の祈願をしました。
康正2年(1456)に千葉隠岐守自胤が、西武に城砦を築き城内鎮守として厚く崇敬しました。社殿西側の低地は本丸と二の丸との間にあった空壕です。 (熊野神社)
志村他6村の総鎮守として信仰を集めた。
長い参道
志村城趾の石碑
本殿へ続く長い参道 志村城趾の石碑
神楽殿 絵馬殿 絵馬殿内部
神楽殿 絵馬殿 絵馬殿内部
狛犬 招魂社 末社(八社合祀)
狛犬(安政2年=1855)の銘 招魂社 末社(八社)
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