【北向き地蔵堂 浮間2−4】
北向き地蔵堂 堂内には地蔵菩薩立像が享保6年(1721)正月吉日。願主は講中、願文は見当たらない。
奥の月待供養板碑は浮間でもっとも古いもので文明16年(1484)。
庚申塔は地蔵を挟んで左右に2体あり駒形立像、青面金剛像は両方とも1面6臂(ひ=腕)で前部は合掌している。踏まれている邪鬼の頭は左側に位置するのが一般的だが、右に置かれている庚申塔の頭は右側にある。始めて見た、年代が違うが対なのだろうか。左は安永6年(1777)、右は宝永2年(1705)の建立で石面部左右に数多くの文字あり、「稔十月」「若衆講誌」など。
 北向き地蔵尊 庚申塔1 庚申塔2
spacer
 【子育て地蔵堂 浮間3−34】
子育て地蔵堂 地蔵堂内には地蔵菩薩立像が2体、小さい方の像には文字は刻まれていない。大きな方には「人生法界平等利益」、「観音寺住職」、「本願主啓経」、「法印宥?」、の銘があるが建立年代は不明である。その他「63人念仏結集年」の文字も見られる。
庚申塔は駒形立像1面6臂(ひ=腕)で前部は合掌している。安永6年(1777)建立。
巡拝供養塔には天保8年(1837)、北足立郡浮間村 尾熊源左衛門、願文「西国・秩父・板東 為二世安楽也」。三大観音霊場で100札所を巡ったので二世安楽を願ったのでしょう。
子育て地蔵尊 巡拝供養塔2 庚申塔7 願主の名は刻まれていても名前だけがほとんどで、浮間のお百姓さんなんでしょう。1点だけ尾熊源左衛門と苗字付きがあるのは珍しい。江戸幕府の『新編武蔵風土記稿』によると「氷川神社−村の鎮守なり、神職尾熊式部:吉田家の配下なり、飯塚村に住す。」と記述があるから、その縁者の侍が浮間に在住していたのでしょう。
spacer
 【渡船場跡 浮間3−6  4基の石造物】
渡船場跡 浮間に橋が架かってない時代ここに渡船場があったが今は解説板があるのみ。
写真左から、水神宮はいつ造立されたかは不明だが正面に水神宮と刻まれている。
庚申塔は笠付角柱 天保9年(1838)、1面6臂(ひ=腕)で前部の手は両手に女人の髪をぶら下げている。浮間の庚申塔では一番手の込んだ彫りです。浮間村講中18人が造立。
馬頭観音座像は文化10年(1813)、浮間村講中の35人が、往来する馬の安全を祈って造立したもの。
水神宮 馬頭観音 巡拝供養塔1 札所巡拝完遂供養塔、百ヶ所の観音霊場、四国八十八ヶ所の霊場を巡拝した記念に造立したもの。文政元年(1818)。末裔の方が浮間に在住している。
北区教育委員会の説明パネルもあり由緒が分かりよい。水神宮(龍)、庚申(猿)、馬頭(馬)と言った動物に縁が深いのも面白い。
spacer
 【庚申塔 浮間3-11】  【庚申塔 浮間2-24】
庚申塔2 駒形立像 寛政11年(1799)
前部の手は左手で女人の髪をぶら下げている。以前は、北浮間郵便局の倉庫にあったが 老人介護・浮間さくら荘の敷地内の右隅に安置された。
庚申塔4 駒形立像 延享3年(1746)
前部の手は左手で女人の髪をぶら下げている。
「笠屋庚申(地蔵)」と呼ばれている。
spacer
 【六地蔵 浮間4−9−2 観音寺境内】
六地蔵 観音寺門を入って左手の塀に沿ってある。