西福寺(川口市) 三重塔 真言宗豊山派  川口市大字西立野420 電話 048-296-3931
西福寺観音堂specer
三重塔遠景 相輪
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三重塔・春
さくらと三重塔
この三重塔は、三代将軍家光公の長女千代姫が奉建したもので、高さ約23メートルあり、埼玉県では一番高い木造の建物である。棟札銘文によると、この塔は、元禄6年(1693)3月27日に建立完成されたもので、かっては、相輪に安置された観音と毘沙門天の開帳があり、櫓を組んで塔の頂上まで参詣者に登らせたときもあったが現在では廃止されている。
塔は、鉄製の釘を一本も使わず細工によって作り上げてあり、構造は方三間で、一層の天井から真上に一本の柱をたて、その柱から二層・三層の屋根に梁を渡しバランスをとって、風にも地震にも耐えるように工夫されている。一層の天井付近にある「蟇股(かえるまた)」には、十二支を表す動物の彫刻が刻まれ(写真下)、方位を示している。
千代姫は尾張藩主の徳川光友に嫁ぎ、塔が完成して5年後の元禄11年(1698)に亡くなり増上寺に葬られるが、位牌はこの塔の中に納められているという。
干支・猿
支・未
干支・牛
干支は上から猿・未・牛
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写真左は赤山城址の出丸のあった場所から低地を挟んで西福寺を眺めた図。江戸時代は低地部分は沼だったそうで伊奈家の侍は舟で見回りをしたと聞く。
その右は三重塔のてっぺんの相輪。各部の名称は、上から宝珠(仏舎利で釈迦の骨を納める)、竜車、水煙(火事を避けるための水煙)、九輪(宝輪)、受花(請花)、伏鉢、露盤(伏鉢の土台)。観音と毘沙門天が安置され開帳されたのはどの部分だろうか?
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三重塔・秋
紅葉と三重塔

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三代将軍・家光は子どもに恵まれず、満32歳で授かった第一子も女児(千代姫)だった。徳川宗家の血筋が途絶えた時に備え、まだ乳飲み子だった千代姫と尾張藩主徳川義直の長男・光友(当時12歳)が婚約した。2歳で婚姻する。そこには、家光に男児が生まれなければ、天下は光友に譲られるとの暗黙の約束があった。しかし、千代姫と光友の結婚の2年後、家光に男児が生まれ、将軍光友の話は立ち消えになる。千代姫は二男二女を出産し、62歳で死去。増上寺に葬られた。戒名は霊仙院長誉慈光松月大姉。
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西福寺 観音堂

西福寺観音堂
【西福寺観音堂案内】

西福寺遠景
赤山城址の出丸のあった場所から低地を挟んで
西福寺を眺めた図

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西福寺  所在地 川口市大字西立野
 西福寺は、真言宗豊山派の寺で、弘仁年間(810〜824)に弘法大師が国家鎮護のため創建したと伝えられる古刹である。寺内には、三重塔と観音堂がある。
 ここの三重塔は、三代将軍家光公の長女千代姫が奉建したもので、高さ約23メートルあり、県下では一番高い木造の建物である。棟札銘文によると、この塔は、元禄6年(1693)3月27日に建立完成されたもので、かっては、櫓を組んで塔の頂上まで参詣者に登らせたときもあったが、現在では廃止されている。塔は、鉄製の釘を一本も使わず細工によって作り上げてあり、構造は方三間で、一層の天井から真上に一本の柱をたて、その柱から二層・三層の屋根に梁を渡しバランスをとって、風にも地震にも耐えるように工夫されている。一層の天井付近にある「蟇股(かえるまた)」には、十二支を表す動物の彫刻が刻まれ、方向を示している。
また、入口正面にある観音堂には、西国、板東、秩父札所の百の観音像が安置され、この一堂を参詣すれば、百ヶ所の観音霊場を参詣したのと々だけの功徳(御利益)があるとされ、春秋の行楽シーズンには、多くの参詣者で賑わうところである。
  昭和58年3月  埼玉県 (案内板より)

西福寺本堂

本堂

【西福寺本堂】

specer 観音堂が正面にあり大きいので本堂と勘違いしそうですが、観音堂の右手に入ったところが本堂。 本尊は阿弥陀如来。 真言宗豊山派寺院の西福寺は、補陀落山と号します。西福寺の創建年代は不詳ですが、弘仁年間(810-824)に弘法大師が国家鎮護のため創建したと伝えられます。

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百観音の標識
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道標

左の写真は、釈迦の弟子で賓頭盧尊(びんずるそん)。観音堂の堂内にある。
通称「おびんずる様」と呼ばれ、堂の前に置かれている 「なで仏」で、病んでいる部位をなでると除病の功徳があるといわれる。
お釈迦様が在世のころ、特別の神通力の持ち主であった賓頭盧尊者が、その神通力を世の人々に自由自在に誇示して見せたので、お釈迦様がお怒りになって、「お前は究極の悟りを得ず、この世にとどまって仏法を守り、人間の病を癒し、多くの衆生を救いなさい」と命令された。尊者はお釈迦様の言葉を守り、今に至っても人々を救う菩薩である

他のびんずる尊特集
釈迦如来像
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びんずる尊者

百観音(西福寺観音堂堂内)

観音堂内中央部分
西福寺は百観音の寺と呼ばれるだけに観音関係のものが多い。写真は観音堂内部です。

百観音の扁額
観音堂内中央部分
観音堂内右部分
厨子右側
観音堂内左部分
厨子左側 写真左下隅の仏像2体を拡大下のが下の写真  天女の絵は天井下にある
仏像  仏像 天女の絵

百観音信仰


西福寺観音堂の本尊である如意輪観音の胎内には、西国・板東・秩父あわせた百カ所の観音像が納められており、このお堂に参詣することで、百カ所の札所をめぐったことと同じ御利益があるとされている。『新編武蔵野風土記稿』には、観音堂の再興は元禄3年(1690)と記されている。また堂内には、三重塔と同じく徳川三代将軍家光の娘・千代姫から寄進された金箔押しの百体の観音像が安置されている。
毎年8月9日の大護摩の日には、四万六千日分の縁を求めて現在も多くの参詣者が訪れる。一カ所で百カ所分、一日で四万六千日分の功徳が得られるこの日は観音信仰が盛んであった江戸当時も賑わったことだろう。明和2年(1765)に行われた三重塔修理の際には、百観音信仰の人気を裏付けるように、一万二千人以上の庶民から寄進がありこの時の寄進者の名前を記した柿板(こけらいた)が今も残されている。

木造如意輪観音坐像及び像内納入物
川口市指定有形文化財(彫刻) 平成10年2月5日指定
当如意輪観音坐像は、西福寺観音堂の本尊で、高さは90cm、幅は55cmを測ります。この像を中尊として両脇に99体の観音像が安置されており、百観音と称されています。
『新編武蔵野風土記稿』によれば、観音堂は元禄3年(1690)の再興とされており、この観音坐像も、腹内に納められている曲げ物製筒入りの99体の小観音も、ともに同じ時期の作品と考えられます。像内納入仏に本体の如意輪観音坐像を加えると、都合100体となり現在本尊の両脇に並ぶ99体の観音は様式、手法から後の時期の製作によるものと思われ、この点から推して、あるいは当初この本尊と像内の99観音のみで「百観音」と呼んでいたのではないかと考えられます。
また、如意輪観音坐像は、江戸時代前期の彫刻としては出色の出来映えを示しているほか、像内に納入物を納める違例としても貴重なものとなっており、彫刻史、仏教史的な観点からも高い価値をもっています。  (川口市教育委員会)

西福寺地蔵堂

閻魔堂
地蔵堂には延命地蔵、閻魔、奪衣婆が祀られている。延命地蔵はほぼ等身大の大きさで目は半眼に開いているが、ファインダーを通して下から見上げるとまばたきしているように見える。閻魔像はそれより小振りにつくられている。
江戸時代、地蔵信仰、閻魔信仰の流行に伴って、奪衣婆(だつえば)の像が多くの寺院内に作られた。
【奪衣婆】 三途(さんず)の川のほとりにいて、亡者の着物を奪い取り、衣領樹(えりょうじゅ)のうえにいる懸衣翁(けんえおう)に渡すという鬼婆。
左下の十王像は観音堂の観音像と一緒に祀られているが十体揃っていない。
観音像
延命地蔵
閻魔大王
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奪衣婆
上が閻魔大王で下は奪衣婆(だつえば)
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閻魔十王の一部
閻魔の仲間十王像の一部

観世音菩薩・鐘楼・荒神祠・参道・山号塔

聖観音菩薩
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聖観音菩薩供養塔
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地荒神の社
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写真右側、上は観世音菩薩、額のところにも仏像が見える。写真下は百観音供養塔。写真下は観世音菩薩のズームアップ。

聖観音菩薩

写真下は寺周辺の守り神だった地荒神の社、これは新しい社で、もとの社は塀の向こうに残っている。
さや堂付きの堂。 荒神の信仰は屋内の火所にまつられる三宝荒神,屋外にまつられ同族や部落でまつる地荒神,牛馬の守護神としての荒神の三つに分けられる。 荒神は盲・唖・聾の三重苦を負った不幸な神で非常に気難しく、刻々と変化する方角の吉凶によって居場所が変わると伝えられ、家の建築などで荒神のいるところに当たると罰が当たるとされ、村人はどうしてよいのかわからず、法印の知識を頼ってその方角を教えられたという報告からも、民間宗教家の関与がうかがえよう。仏教とは関係がない。

地蔵堂 石碑
寺の軒下飾り 寺の軒下飾り
竹の道 道標
門柱の山号塔
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西福寺観音堂正面
門柱の山号塔には真言宗豊山派 補陀落山 西福寺と刻まれている。
昔、流行ったクレージーキャッツの歌に「ホンダラ行進曲」がありまた。歌詞の中に「一つ山越しゃホンダラダ ホイホイ 越しても越してもホンダラ ホイホイ・・・」と歌ってます。植木等さんがお寺の出で麻雀をやりながらホンダラホイホイをよく言うので歌詞に採用したと聞きました。その「ホンダラ」が山号に使われている。
正式には、補陀落山(ホダラサン・フダラクサン)で、伝説上の、インドのはるか南方の海上にあるとされ、八角の形状をした山である。山頂に観音菩薩が住むとされ、補陀落山の頂上を浄土とする観音信仰の聖地である。
補陀落山を山号とする寺はよく見掛ける、近くは川口市赤井3-9-39に補陀山円通寺(曹洞宗)がある。
下の写真は左側の金剛力士像の少し手前にある国土地理院「四等三角点」。国の高さの基準であるTP(東京湾中等潮位=海抜)より17.5mとなっている。ちなみに、近隣で一番高い所は海抜32メートルの九重神社で、御嶽山と命名されている。

四等三角点

西福寺から赤山城址出丸へつながる道の稲荷神社

稲荷社 稲荷社
稲荷神社の扁額には「正一位 五社」、下の石碑には「御茶壺社正一位稲荷大明神 神主 秋浦主計」
稲荷社 稲荷社の石碑

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