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《ガイド》 駐車場は山門手前の左の道路を進む下の小僧さんは山門手前右側にいて、「門前の小僧習わぬ経を読む」なのでしょうか。 |
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参道の左側に咲く彼岸花 |
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写真左、板碑には観音像が線彫されているようですが、近隣では始めて見た大変めずらしい作品です。 写真上の鐘楼には、かっての関東郡代伊奈家の重臣・富田氏寄進の梵鐘(二代目)が掛けられており、この鐘は音色が麗しく名鐘ととして親しまれていましたが、太平洋戦争時の供出の命により姿を消しました。現在の鐘は三代目となります。 |
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地蔵を抱いた巨木(スダジイ) |
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《ガイド》 本堂左の墓地内にスダシイの巨木が5本ある。県指定木ではないが元禄年間の石のお地蔵様を根元に抱きかかえた巨木は迫力があります。 新潟県から福島県あたりを北限とする暖地性の木である。スダジイとツブラジイを合わせてシイノキとよんでいる。秋にはドングリがなるが甘みがあって仲々うまい。昔の人はこれを食用として重宝した。 |
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弁天堂 弁財天像 |
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左の同は稲荷社 右の堂が蛇の形をした弁財天を祀る |
伝説では姿は人頭蛇身の神で蛇だと言われる | |
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左写真は台地上部のふるさとの森 台地底部の放生池(パワースポット) | ||
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近くにある 矢倉稲荷社(興禅院) |
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【矢倉稲荷大明神の由来】 いなりとは、稲生(いななり)の音変化したものであり、五穀をつかさどる食物の神、食稲魂神(うかのみたまのかみ)のことを言う。また、食稲魂神の異称である御食津神(みけつかみ)と三狐神(みけつかみ)とを結びつけて、稲荷の使いと信じたところから狐の異称ができたと言われる。 旧矢倉稲荷社は、明和七年庚寅(かのえとら・1770)11月、当山十三世千外洞芳大和尚が晋山(着任)の節、加賀大聖寺藩(現石川県)九代の藩主松平備後守利之公(本姓前田・禄高十万石)の奥方桂林院が、病弱だった嫡子造酒之丞(みきのじょう)公の武運永昌、・福算無窮と、この地方の五穀豊饒祈願のために京都の司家から正一位稲荷大明神の認可を得、社と共に寄進された。矢倉山とは、「由来」この辺りを言うが、旧稲荷社のあった場所は特定されていない。 慶応四年、神仏分離令が布達され、寺院地内の神社存続は禁止され、当山でも天神社・弁財天社が廃社の止むなきに到った。 このたび、当山院の整理に伴い、松平家(前田)の旧恩に感謝して矢倉稲荷社を再建した。 平成9年5月吉日 曹洞宗 瑞龍山興禅院 より |
十三佛と千手観音入口 十三仏は台地の上部・下部との斜面を利用して配置されている |
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不動明王 :初七日・酉年生 釈迦如来 :二十七日 文殊菩薩 :三十七日・卯年生 普賢菩薩 :四十七日・辰年と巳年生 地蔵菩薩 :五十七日 弥勒菩薩 :六十七日 薬師如来 :七十七日 聖観音菩薩 :百ヶ日 勢至菩薩 :一周忌・午年生 阿弥陀如来 :三回忌・戌年と亥年生 阿閤如来 :七回忌 大日如来 :十三回忌・未年と申年生 虚空蔵菩薩 :三十三回忌・丑年と寅年生 千手観音菩薩:子年生 |
不動明王 |
釈迦如来 |
文殊菩薩 |
普賢菩薩 |
地蔵菩薩 |
弥勒菩薩 |
薬師如来 |
聖観音菩薩 |
勢至菩薩 |
阿弥陀如来 |
阿閤如来 |
大日如来 |
虚空蔵菩薩 |
千手観音菩薩 |
十三仏と彼岸花 |
ここからは季節の花情報(色々咲きます) |
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門の左側にある池に咲く水芭蕉 | ||
コナラの花(4月初め頃) | ||
梅の花 | 水仙 | |
シャクナゲ | ||
近くの道の駅・樹里安 |
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さくら | 菖蒲 | |
↑アジサイは参道脇など掲載のマップ参照あれ↓ | ||
色々な彼岸花が見られる | ||
紅葉は見事です。向かいの小林もみじ店は400種の紅葉が見られる |