法性寺 川口市桜町1-11-5 曹洞宗 玉龍山
【法性寺】
玉龍山法性寺は、江戸城を築いた太田道灌により文明8年(1476)に寺領等を寄付され開基した。武蔵風土記によると、法性寺は曹洞宗遠江國石雲院末で、寺領10石の御朱印は天正19年(1591)賜う。鳩ヶ谷では法性寺が唯一。その時迄は寺号を保正と書くが、御朱印に法性寺と記せしため改めた。本尊は釈迦如来。千手観音立像を安ず。その頃は天台宗にて、のち、両上杉氏牟楯の時、住僧兵乱を恐れて遁れ去り、寺領を失い堂宇も悉く荒廃せり。その後、明應7年(1498)僧・震龍が再建して曹洞宗とし玉龍山と改号、同8年3月遠江國より季雲永獄を請待して、開山とし震龍は第二世に居れり。永正17年(1520)村山伯耆守行秀は寺領を寄付せしかば、行秀を中興大檀那とせり。この行秀寄付の寺領は、北條氏の時没収せしが、天正2年(1574)に至りて、太田氏直より一貫二百文の地を寄付せしとある。