山門・説明
山門
spacer説明版
【総泉寺 施設案内】
本堂|山門・説明|清水薬師堂と他の堂
石仏群布袋尊と廻し七福神聖観音坐像
江戸名所図会の清水薬師

境内は広く車で行っても駐車スペースは十分あるが、門前の道路は狭くすれ違い出来ない。車は小豆沢通りから入るが一部狭いからご注意あれ。

写真右下の説明版は山門左にあります。内容は以下に写します。
総泉寺
ご本尊釈迦如来。宗派曹洞宗。妙亀山と称する。 本寺はもと浅草の大寺で、創立は建仁元年(1201)2月。開基は千葉介。中興開基は16世紀中頃当時の石浜城主千葉介守胤。その後石浜城主千葉氏の菩提寺となる。江戸時代になると江戸三刹の一つとして幕府の庇護をうけるとともに、秋田藩主佐竹氏の江戸での菩提樹となった。ところが関東大震災で被災すると、昭和3年この地に移転してきて大善寺と合併した。
 境内に祀られている薬師三尊は、もと大善寺の本尊で清水薬師とも称され、清水坂の地名もこれによる。また地蔵堂に祀られている地蔵は、もと清水坂の中腹にあったもので、現在は子育て地蔵として信仰を集めている。なお、墓地内には佐竹候や明治画壇の大家寺崎広業、大名松平忠良・忠憲父子の墓碑などがある。    (平成7年、板橋区教育委員会)

【関連情報】 薬師の泉  旧中山道の清水坂


清水薬師如来 聖徳太子彫刻 石碑
門前にある石碑です。写真左は「清水薬師如来」の碑、右肩部分の拡大写真中央には「聖徳太子彫刻」と刻まれている。上の解説にもあるように、本寺はもと大善寺であり、徳川吉宗が鷹狩りの折に立ち寄って飲んだ水が美味であったので、大善寺本尊の聖徳太子作・薬師如来から「薬師の泉」と命名したいわれがある。その碑である。
右の写真は漢文で書かれていて、総泉寺敷地を伊藤茂七さんが三千坪ほど寄進したとか・・・だと読めるが、理解不能です。末尾には正確ではありませが、
 大本山総持寺貫首 新井石禅筆額?
  大正丙辰(ひのえ たつ=5年 1916年)3月 住職吉川蟠龍??
わたくし漢文の知識も歴史も疎いです。でも、総泉寺がこちらに来たのは関東大震災1923年(大正12年)以後のことです。大正5年に総泉寺へ土地を寄贈うんぬんは辻褄が合わないのではと思いますが?