薬師の泉  板橋区小豆沢3-7
薬師の泉 secer湧き水口
【薬師の泉 施設案内】

 →江戸名所図会(清水薬師・清水坂)

現在、湧き水は大雨の後だとか条件が揃わないと出ない。しかも、飲用に適さない水質だとか。
茶屋風の管理所脇に蛇口があるので聞いてみたら水道水だと言われた。かつては、志村三泉の一つとも言われる豊かな湧泉は中山道を往来する旅人や江戸名所を訪ねる人々の信仰と憩いの場所として賑わっのだが、今は昔の物語。
<写真下は湧き水の口>
この崖は武蔵野台地で、崖続きに少し離れているが赤羽自然観察公園がある。ここの湧水は今も健在で結構な水量で湧いている。

薬師の泉 15世紀末、この地に、農民新見善左衛門は聖徳太子作と伝える薬師如来を本尊として大善寺を開基した。その後、八代将軍徳川吉宗遊猟の途中に立ち寄り、清泉に因んで寺の本尊である薬師如来を「清水薬師」と命名したと伝わっています。
志村三泉の一つとも言われる豊かな湧泉は中山道を往来する旅人や江戸名所を訪ねる人々の信仰と憩いの場所として賑わった。
大善寺は昭和の初め総泉寺と併合し、総泉寺亀山荘園が築造されたが、戦中戦後荒廃した。
この度、板橋区は、「江戸名所図会」にまで登場する水と緑の名所を現代に再生すべく、学術的検討をふまえて江戸の風情を復元整備した。
 平成元年
 板橋区・板橋区教育委員会・板橋区観光協会

中山道の門 中山道に面した門で入ると急な階段で池まで下りになっている。大善寺(現・総泉寺)には写真左手前の中山道を少し上って、左への急な坂を上った先にある。

石段
解説板 《写真の説明文=内容》
薬師の泉 15世紀末、この地に、農民新見善左衛門は聖徳太子作と伝える薬師如来を本尊として大善寺を開基した。その後、八代将軍徳川吉宗遊猟の途中に立ち寄り、清泉に因んで寺の本尊である薬師如来を「清水薬師」と命名したと伝わっています。 志村三泉の一つとも言われる豊かな湧泉は中山道を往来する旅人や江戸名所を訪ねる人々の信仰と憩いの場所として賑わった。 大善寺は昭和の初め総泉寺と併合し、総泉寺亀山荘園が築造されたが、戦中戦後荒廃した。 この度、板橋区は、「江戸名所図会」にまで登場する水と緑の名所を現代に再生すべく、学術的検討をふまえて江戸の風情を復元整備した。
 平成元年
 板橋区・板橋区教育委員会・板橋区観光協会
東屋と庭
secer
庭園には江戸時代の日本庭園が作られています。武蔵野台地の斜面を利用して、小高いところには東屋があります。「江戸名所図会」に書かれた風景はこの東屋辺りを中心にしているようです。斜面の上は総泉寺(旧大善寺)の敷地になっていて囲いで区切られているため入れない。総泉寺へ行くにはここを出て中山道の清水坂を少し上ったところにある。

庭
secer小滝