宝憧院(赤羽) 北区赤羽3-4-2
宝憧院(赤羽)

山門 節分の豆蒔き
宝憧院は節分の豆蒔きが盛大に行われるので知られている。撮影時の参加者は250名程度、小学生未満は別途、お菓子の袋詰めが配られていた。PM4:00〜
境内には区内最古の寛永16年(1639)霜月18日銘の阿弥陀如来線刻庚申塔があります。板碑型の石塔本体正面には、阿弥陀如来立像と二猿が線刻され、「山王廿一社」の文字を見ることができます。「庚申」という文字が無く、本来は三猿のところが二猿であるために、この塔を庚申塔と呼ぶかは議論が分かれますが、区外には、庚申信仰と山王信仰の結びつきを表した類似のモチーフがあるところから、この塔も両者が結びついて造立されたようです。
その他に馬持講中(当時馬を飼っていた資力のある村民)も人名を刻んだ馬頭観音塔や、出羽三山供養塔などがあり、この地の歴史を知る上で貴重なものとなっています。 
 《平成15年7月  北区教育委員会》  案内板を転記した
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不動明王堂 左の写真、不動明王堂の中を覗いてみたのが下の写真。 ガラスに外の光が反射して中がよく見えないが、後ろに炎を背負い、目をかっと見開いてにらみ付けている不動明王像だ。これは坐像のようでもある。岩に座って、その岩から滝が流れ出ている図は浮間のお不動さんと同じだ。
不動明王 不動明王
石仏
区内最古の寛永16年(1639)霜月18日銘の阿弥陀如来線刻庚申塔があります。板碑型の石塔本体正面には、阿弥陀如来立像と二猿が線刻され、「山王廿一社」の文字を見るかこができます。「庚申」という文字が無く、本来は三猿のところが二猿であるために、この塔を庚申塔と呼ぶかは議論が分かれますが、区外には、庚申信仰と山王信仰の結びつきを表した類似のモチーフがあるところから、この塔も両者が結びついて造立されたようです。 
(北区教育委員会の説明より)

庚申塔の解説
写真左下は左から、月山・羽黒山・湯殿山参拝
四国八十八霊場参拝、 馬頭観世音(菩薩)、
善光寺参拝記念。
板碑型の石塔

阿弥陀如来線刻庚申塔

阿弥陀如来線刻庚申塔の拡大写真
六地蔵
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右の板碑型の石塔正面には、阿弥陀如来立像と二猿が線刻され、「山王廿一社」の文字を見ることができます。「庚申」の文字がなく、三猿が二猿になって庚申信仰と山王信仰の結びついたもの。

弘法大師像 弘法大師の修行像は真言宗の寺では良く見られますけれど姿は同じではありません。着衣やスタイルも微妙に異なります。
  
  →近隣の弘法大師像集


右下の写真は大師像の後ろの本堂壁に見付けた鬼です。どんな重さにもたえる鬼、のようにみえる。

弘法大師後ろ姿
 後ろ姿を眺めることはあまりないでしょう
鬼の木造
地蔵祠 地蔵の顔
何か物悲しい顔に見える
道標
宝憧院前
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宝憧院前の道標門に向かって右側の道しるべは、江戸時代の中期、元文5年(1740)12月に了運という僧侶によって造立されたものです。
宝憧院前は、板橋道が日光・岩槻道と合流する位置でしたので、銘文には「東 川口善光寺道 日光岩付道」・「西 西国富士道 板橋道」・「南 江戸道」と刻まれています。日光・岩槻道は、岩淵宿から川口へと船で渡り、鳩ヶ谷・大門・岩槻の宿場をへて幸手宿で日光街道に合流する道筋です。江戸幕府の歴代将軍が徳川家康・家光の廟所のある日光に社参するための専用の街道としたので日光御成道とも呼ばれました。板橋道は、西国へと向かう中山道や八王子から富士山北麓の登山口へと向かう富士街道へ通じていました。
道標は、各々の方向から来た人々が、先ず、自分の歩いてきた道を確認し、次に、これから訪ねようとする土地への道が、どの道なのかということを確認できるように造られたものです。   《平成3年3月  北区教育委員会》
『江戸名所図会』は神田雉子の名主、斉藤幸雄、幸孝、幸成ら三代が40年の歳月を掛けて天保七年(1836)に完成した江戸風俗地誌。絵は長谷川雪旦の筆になり精緻と評価されている。
図の下の道路には川口街道と書かれている。岩淵〜鳩ヶ谷〜大門〜岩槻へ向かう日光御成街道。宝憧院前を直角に曲がって川口方面へ向かっている(拡大図参照)。現在、宝憧院と八幡神社の間にはJR京浜東北線や東北本線、上信越線などが走り、八幡神社の山腹には新幹線と埼京線が貫いている。神社南側には師団坂がないが、師団坂は明治になって旧陸軍の工兵大隊が移ってきたので造られた道路だから。
『江戸名所図会』で「赤羽山八幡宮杜」のページに記載している文章以下に写す。 赤羽山八幡宮杜 あかばねむらにあり。社伝に云く、「当社鎮座の年歴は久遠にして詳らかならず」とぞ。中古(なかごろ)おほいに荒廃におよびしを、文明(1469〜87)太田道灌(1432〜86)再興ありしより、祭礼怠ることなし。神宝に獅子の頭一箇、古き面二枚あり。
下の図は宝憧院の部分を拡大した図