【正覚寺 施設案内】
川口七福神はこちら
本尊:釈迦牟尼如来、両脇に千手観音
駐車場:山門脇(写真右側)
正覚寺は永喜山と号し、開基は岩槻城主太田美濃守配下の平柳蔵人高綱である。戦国時代の真っ只中であった天文15年(1546)頃に平柳蔵人高綱が父・平柳但馬守入道徳叟や一族の菩提を弔うために阿弥陀三尊を奉安して創建した。永禄元年(1558)には嫡男忠教が高綱の戒名「柳正院殿歓覚永喜大居士」から山号を「永喜山」とした。 天正11年(1583)には江戸青松寺第六世久室玄長禅師が招請されて復興した。以後、安政2年(1855)の大地震や大正12年(1923)の関東大震災で堂宇が倒壊するも再建され、昭和23年(1948)には格地寺院に昇格した。
当寺の山門は約280年前に建立されて以来、3回にわたる大修理を行われてきたが、老朽化のため平成17年11月に新築された。
なお、文中の阿弥陀如来は坐禅堂階上の仏像奉安堂に安置されている。
川口七福神の布袋尊、正月の10日までは開扉されているようです。布袋さんの体型は現代ではメタボリックシンドローム(代謝症候群)の典型で減量に悩むでしょうな。
【布袋】
布袋尊はいつも笑顔で容貌福々しく、人々に喜びを授ける家庭円満・平和安穏の神である(笑う門に福来る)。その福徳は体格通り大量無辺の太っ腹である。
粗衣をまとった姿は、何事にも動じずこだわらない人格・度量の大きさを表し、寛容仁忍・憂慮無用を教え、無邪気で無欲な心の豊かさを諭してくれる。
当寺の尊像は杖を持っているのが特徴で、これは己の欲望や邪念を打ちのめす反省の心を示している。
布袋尊とは中国漸江省の四明山岳林寺にいた契此(かいし)という実在の禅僧で、917年に没して定應大師を諡られた。
袋に入った道具だけで営む簡素な生活であったので「布袋」と称され、吉凶を予知して人々に知らせたの
で、弥勒菩薩の化身、慈尊とも呼ばれた。
写真上は境内に安置された新しい正観音菩薩石像でと呼ばれる。
碑に書かれている文章は経年劣化で読み難いところがあります。七福神めぐりも何かのご縁、石彫文をテキストに起こしました。間違いがあったらご容赦願います。
山門を入ってすぐ左の聖観音は、舟形光背を含めて一木彫りの秀作で、天明2年(1782)の浅間山大噴火と荒川大洪水により傷ましい姿で流れ着いたものという。右手は施無毘印(せむいいん)、左に蓮華のつぼみを持つ。