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薬師堂本寺に伝わる「薬師縁起」には堂に祀られている薬師如来(秘仏)が、天長年間(824〜834)に台地下の七々子崎(ななこざき)と呼ばれる荒川の入江で発見されたとある。本寺に伝わる「薬師縁起」には、小豆沢の地名が、平将門への貢物を積んだ舟がここで沈み、その際積荷の小豆が流出したことに由来していることが書かれています。堂の中をガラス越しに拝見すると(写真左下)、正面の扉が閉まっている厨子に薬師如来が安置されているのでしょう。その脇には薬師如来を守護する十二の武神である十二神将。各神将がそれぞれ7千、総計8万4千の眷属(けんぞく)夜叉を率いるという。さらに、丸柱の両側には閻魔大王を含む十王と奪衣婆が並ぶ(閻魔と奪衣婆を掲載)。 薬師堂の正面扉の上に古そうな天女の額が掛かっています(写真下)。 |
![]() ![]() ![]() 右の写真は天女の顔のアップ写真 全体は祭壇の下に |
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板碑 板橋区指定有形文化財に指定 素材は埼玉県の秩父地域で産出される緑泥片岩(りょくでいへいがん)で武蔵型と呼ばれている。そこに造立年月日や法名、仏を表現する種子などが刻まれています。真ん中の碑は、区内で2番目に古い建長7年(1255)に造立された、高さが160cmの大型のもので、表面には「成善」の名前のほかに、梵字(ぼんじ)のキリーク(弥陀)を主尊とし、それにサ(観音)とサク(勢至)を配した、弥陀三尊が刻まれています。 板碑の寺と言われる (板橋区HPより抜粋) |
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