稲付村の力石
稲付村の力石

 ここにある七つの石は、その一つに「さし石」と刻まれている力石です。
 江戸時代後期から明治時代にかけて、稲付村では春の彼岸が過ぎたころ、少しの間、農作業に暇ができましたので、村の鎮守でもある香取神社の境内に、村内の力自慢の若者たちが集まって、石の「サシアゲ」などして、力比べをしたと言います。
 七つある力石の内、五つの石に重さが刻まれています。軽いものでも19貫目(約71
Kg)、重いものでは50貫目(206Kg)もあります。また、六つの石には「小川留五郎」と名前が刻まれています、留五郎さんは、稲付村一里塚付近にある根子屋(ねこや)の小川家の人で、力が強く、村相撲の大関を勤めたといいます、石鳥居の脇にある明治39年(1906)5月建立「日露戦没祈念碑」の有志者連名中にもその名が見られます。明治40年(1965)6月13日に51歳でなくなりました。力石は小川家に保管されていましたが、昭和40年(1965)頃に香取神社へ奉納され、現在に至っています。
 力石は、鎮守の祭礼などで、これを持ち上げて、神意をはかるための石占いに用いられ、後には、若者たちの力比べをするための用具ともなっていきました。この力石は往時の稲付村の風俗・習慣を示す貴重な文化財です。(平成8年3月、北区教育委会)