小林大豊記念碑(赤羽) 北区赤羽西2−22−7 香取神社隣接
【香取神社施設案内】
小林大豊記念碑|
神社の敷地外ですが、石段の脇に立っている。
明治7年に小林大豊は村人に推されて近くにある鳳生寺の住職になったが、同9年辞職して代用小林尋常小学校を
設立した。そのいわれを記した碑と聞いたが、風化して字が良く読めない。
後日、北区ニュースに石碑の解説が載っていたので一部を抜粋して下記に写す。
「小林先生彰功之碑」表面の碑文の大意は次のとおりです。
「小林先生は大豊と号し、信州伊奈郡古田村の出身で、農家の二男だった。幼くして出家して諸国を行脚し、江戸にきて駒込の栴檀(せんだん)学林で修業した。学徳があり瀟洒(しょうしゃ)な人柄で、皆に慕われた。明治2年(1869)8月に稲付村に来ると、子どもたちの教育にあたり、7年に鳳生寺の住職となったのは、村民の懇請によるものである。9年に住職を辞し、小林小学校を設立して教育に熱意を注いだ。稲付村に来てから30年、村内には先生の薫陶を受けない者はいない。有志の者で相談し、石碑を建てて報恩の意を表わすこととする。…」
石碑裏面には、「有志者」84名、「世話人」23名、計107名の名前が記されています。