光徳寺 さいたま市見沼区膝子623 曹洞宗
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光徳寺本堂
【光徳寺】
光徳寺は、曹洞宗の寺で江長山と号し、片柳の万年寺の末寺で、本堂に薬師如来を安置している。
寺の開創は文禄4年(1595)といい、開山の僧快巌は慶長6年(1601)11月19日に亡くなっている。
当寺では、江戸時代の三代将軍家光以降代々13石の寺領を賜り、それを証する朱印状が残されている。
寺の西側を通る日光御成道は、将軍の日光東照宮参拝に際しての専用道として使われ、当時その休憩所となっていた。休憩時の将軍愛用の品は残念ながら失われ、今では見ることができない。
 昭和59年3月 さいたま市(現地掲載物より)

観音堂の聖観世音菩薩像は行基作と伝えられ、正徳3年(1713)麻布龍穏寺住職好外和尚によって寄贈された。その後、栃木市の傑峯寺に移ったが、夢のお告げで当寺へ戻された。霊験あらたかな尊像です。


観音堂 山門
観音堂 山門

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                    何故だかこんな置物がある→
当寺は、天保14年(1843)12代将軍家慶の日光社参にあたっては休憩所に定められており、将軍は休憩後、寺から岩槻城下手前の綾瀬川まで歩き、大橋を渡ったのち駕籠に乗り岩槻城へ入っています。なお、日光社参は家慶を最後に再び行われることなく、25年後に明治維新を迎えることとなります。
  さいたま市教育委員会 (掲示物より)

置物

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