常泉寺 さいたま市見沼区染谷3-242 曹洞宗
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「広島・長崎の火」
       「広島・長崎の火」

常泉寺「広島・長崎の火」のいわれ

 1945年8月、第二次世界大戦は最後に核戦争となり、広島と長崎は人類史上最初の犠牲者になりました。一瞬にして20万人近くの生命が奪われ、今なお放射能で多くの人が苦しんでいます。
 福岡県星野村の山本達雄さんは、軍人として広島市内に入り被曝しました。同時に、書店を経営していた叔父さんを探しましたが、消息はわからず、焼け跡の地下の書庫にくすぶっていた火を形見の火として懐炉に移し、故郷の星野村に持ち帰り、広島を地獄におとしいれた恨みの火、怒りの火として灯してきました。この「広島の火」は、村長の提案により後に、核兵器のない平和な世界を呼びかける火、日本国憲法の心の火として星野村に灯されています。
 1988年、「広島の火」は、長崎の原爆瓦から採火された「長崎の火」と合わされて、全国を巡る平和行進の先頭に掲げられ、ヒロシマ・ナガサキアピール署名とともに、弟3回国連軍縮特別総会に届けられました。埼玉県にきた「長崎の火」は、新潟県長岡を行進中にもらい受けた「広島の火」と合火して県内を行進しました。その後、原水爆禁止埼玉県協議会の依頼で、常泉寺の小山元一住職が灯し続け、毎年「広島・長崎の火」を囲むつどいが開催されています。
この火を永遠に灯して、核兵器と戦争をなくす被爆者と日本国民の願いを語り広げるため、この地に「広島・長峰の火」モニュメントを建設しました。
2007年9月2日 
さいたま・常泉寺「広島・長崎の火」モェユメントをつくる会

本堂

常泉寺(染谷村)

常泉寺は、雪菴壽欽(大永3年1523年寂)が創建、徳川家康の関東入国に際して天正19年(1591)に寺領10石の御朱印状したといい、染谷の里正淺子大學(法名茂菴昌繁居士)が中興開基したといいます。

曹洞宗、下野國鹿沼瑞光寺末、黒雲山と號す、寺領十石の御朱印は天正十九年七月十七日賜れり、開山雪菴壽欽大永三年四月八日寂す、中興開基の法謚を茂菴昌繁居士と云、今の里正の先祖にて、淺子大學とよびし人と云、本尊観音を安せり。
鐘楼。延寶二年十一月鑄造の鐘をかけり。
稲荷社、白山社、重殿権現社。
(新編武蔵風土記稿より)

本堂 長い参道
鐘楼 長い参道
鐘楼 聖観音菩薩
本堂 頂上に地蔵尊と下の板は観音菩薩
扉のない門(築山の入口?) 頂上に地蔵尊と下の板は観音菩薩
古い供養塔 六地蔵
古い供養塔 六地蔵
宝篋印塔 趣のある外壁
宝篋印塔 趣のある外壁
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左の写真は本堂の外に掲げられている扁額
徳川家康より寺領10石を拝領している。
埼玉新聞の2008年8月8日に以下のように掲載されました。
「さいたま市見沼区染谷の曹洞宗『常泉寺』の本堂正面には、江戸無血開城に尽力した山岡鉄舟(1836〜1888年)直筆の山額
(横127センチ×縦52センチ、厚さ4センチ)が掲げられている。鉄舟は剣、禅、書の達人として知られた」。
写真下の本堂外壁正面に掲げられた扁額ではなさそうで、堂内に飾られているのでしょう。
旗本大岡忠征の妻「玉鳳院」の墓がある。

常泉寺の扁額

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