浄国寺(じょうこくじ)は、埼玉県さいたま市岩槻区にある浄土宗の寺院。山号は仏眼山。院号は英隆院。本尊は阿弥陀如来(写真は下)。
1587年(天正15年)岩槻城主太田氏房の開基、清巌の開山により創建されたという。早い時期から浄土宗の檀林が置かれ、江戸時代には浄土宗の触頭であった。
左の写真は、本堂の改修が行われ、2011年に完成したので更新しました。
本堂左側の奥に江戸時代前期の岩槻藩主阿部家の2代にわたる藩主とその母、殉死した家臣の墓と灯籠で、計12基があります。東日本大震災で供養塔(宝篋印塔−高さ4.7メートル)などが倒れました。その後修復されたので写真を入れ替えました。
本堂の三つ葉葵紋 | 鐘楼の三つ葉葵紋 | 客殿の三つ葉葵紋 |
地図上の青文字をクリックすると表示します |
本尊の阿弥陀如来像 |
岩槻藩主阿部家の墓 | 正寿院の供養塔 |
さいたま市指定史跡
岩槻藩主阿部家の墓
平成18年3月30日指定
江戸時代前期の岩槻藩主阿部家の二代にわたる藩主とその母、殉死した家臣の墓と燈籠で、計十二基からなります。境内二ヶ所に分かれ、ここには阿部家初代藩主正次の墓(五輪塔−高さ四・三メートル、百五十年忌に建立)と三代藩主定高の墓(五輪塔−高さ四・四メートル)、定高に殉じた家臣小倉與兵衛政光の基(五輪塔)の他、三対六基の燈籠(うち二基は末裔である幕末の老中阿部正弘が、正次の二百五十年忌に建立)があります。
また、別の区画には(写真右)、正寿院の供養塔(宝篋印塔−高さ四・七メートル)と一対二基の燈籠があります。正寿院は、松平隠岐守定勝の娘で、二代藩主阿部重次の後室となり、三代藩主定高、四代藩主正春を生みました。父・定勝は、徳川家康の異父弟で、母は家康の生母於太の方(伝通院)です。従って、正寿院は於大の方の孫娘、家康の姪にあたります。
江戸時代前期の藩主の墓・燈麓がまとまって遺存し、岩槻藩や阿部家の菩提寺としての浄国寺を研究する上で基本的な資料となっています。
浄国寺 さいたま市教育委員会