片柳の筆塚 さいたま市見沼区片柳1751
【片柳の筆塚】
所在地 大宮市片柳1751(現・見沼区片柳1丁目)
当家はは片柳村の名主を務めた家柄です。江戸時代後半
の文化文政期に出た守屋巌松斎(本名は藤内)は、華道
(正風遠州流)の大師匠として活躍しました。また、書道
にも秀でていました。
巌松斎は、華道の門人を日光御成道・中山道沿いに獲
得しました。その数三千五百人余といい、関東−円は申すに及ばず、遠くは越後国(新潟県)から入門する着がありました。天保4年(1833)に巌松斎法眼一Gと称したところから、門人に「○松斎○一○」の斎号を与え、勢力を拡げていきました。市内には丸ヶ崎巌松斎、島町に薬松斎らが輩出、正風遠州流をさらに広めていきました。現在でも県内に○松斎の号持つ人が多く「松達」と呼んでいますが、「松」が巌松斎の松であることはいうまでもないことです。
境内には、天満宮・筆塚・花塚・歌碑・灯籠など巌松斎の事績を伝える資料が保有されています。
大宮市教育委員会
(現場解説板より)