芳林寺 さいたま市岩槻区本町1-7-10
芳林寺は、曹洞宗の寺で山号を大平山といい、静岡県藤枝市洞雲寺の末寺である。本尊は釈迦如来が安置されている。開山は覚翁文等で、文禄4年(1595)7月に没したと伝えられる。
言い伝えによると、以前、他の場所に建立されていた寺が、永正17年(1520)8月火災に罹ったため、太田大和守資高が自分の居城であった岩槻にこれを移し、大永3年(1523)春に再建した。大鐘を掛け宝殿が空に聳えたという。そして寺領50貫が寄進され常住僧の資に充てられた。たまたま資朝公の母が禅門に帰依して芳林妙春尼と号していたが、永禄10年(1567)3月逝去するに及び、陽光院殿芳林妙春大姉と号したため、その寺号を芳林寺と改めたという。
天正19年(1591)高力清長が城主となったとき、その荒廃を嘆き大修理を加え復旧したという。この後幾度か火災に遭い、2代目城主高力忠房が再び造営復旧した。また文化8年(1811)2月18日焼失したため、天保12年(1841)5月に本堂(間口9間・奥行5間)及び庫裡(間口12間・奥行5間)が再建された。
境内には岩槻城主太田氏資の供養塔があり、昭和53年3月29日に市指定文化財(史跡)になっている。
さいたま市 (現地掲示板より)