徳川家が日光社参をするときはものすごい供揃えだったと言われる。行列の先頭が日光に着いても末尾はまだ江戸城にいたと言うくらいだ。 今まで読んだ資料では、荒川には舟橋が架けられたと記述されるが、左図の資料では仮設の橋が架けられたようだ。 左図は天保14年(1843)4月徳川12代将軍家慶の日光社参の折、荒川仮設橋のようすと、警護の人の配置を表した勤番絵図である。 ■印は頭、●は与力、●は同心とある。 情報元は、筑波大学附属図書館のサイト。 |
左図は橋の部分を拡大したもの。 |