毘沙門天(吉祥院) |
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写真左は吉祥院本尊の毘沙門天像・そのお前立ちです。 昆沙門天は邪気を払い、魔を降す力から厄除開運の仏として崇められる。忿怒(ふんぬ)の形相で天邪鬼を踏みつける姿。常に如来の説法をよく聞くが故に、「多聞天(たもんてん)=ビシュラバナ(全てを聴く)」とも称され、勉学の神でもある。左手に掲げる多宝塔が如来の智慧を示している。 また、持国天・広目天・増長天と共に結界を巡らせる四天王として北方を守護する。 寅年第日寅刻に出現した故に、虎を使者とし、寅日を縁日とする。吉祥天が妃なのは吉祥院との縁か。 【関連情報】東養寺(川口市東本郷)の毘沙門天 |
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左は本尊の毘沙門天像 右はお前立ちの拡大写真 | |||
【山門】 この寺院は、昔はもっと荒川の近くにあったそうだ。度重なる水害や焼失の憂き目のあったが、その度に再興され、現在の位置に移転された。明暦2年(1656)、荒川の大氾濫で当院はすべてが濁流に押し流されたが、仏縁の不思議で本尊は河口から発見された。 浮間から見ると荒川を挟んで「北向き地蔵」の対岸辺りにある。 |
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【鐘楼】 普段は昼、午前11時30分と夕方(夏季は午後5時、冬季は6時)に鳴ります。 大晦日には除夜の鐘として、参詣者の足が遠のくまで響き渡ります。 鐘楼の下に古い石造物が並ぶ。写真右から、一番背が高いのは弘法大師一千年紀供養塔、釣鐘供養塔、地蔵尊、次の屋根の覆う下は4本の板碑が置かれている。 |
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【板碑】 当院には四本の青石塔婆が、ほぼ完全な形で残されている。 最大のものは阿弥陀種字キリークを深く彫り込んだ弘安9年(1286)のもの。 三具足を飾る来迎阿弥陀図像が見事に陰刻されているものは延徳2年(1490)の作で、夜念仏結衆が満願に当たって建立したもの。 十三仏庚申待供養碑は十三仏の梵字と庚申を併せて刻んだ珍しい遺物である。 |
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