イイナパーク川口(赤山歴史自然公園)
イイナパーク川口の施設紹介。食事処と売店は高速道路のパーキング施設と共用です。その関連で休憩所やトイレも広く設置されている。
子どもの遊戯施設3ヶ所、「屋内遊び場」は有料です。他に、ぴょんぴょん跳ねる遊具と小さい子用のブランコなどがある。何より広い芝生広場がある。
歴史自然資料館の特徴と言える展示物は、近くの「
赤山城跡
」とリンクした屋敷跡を再現した資料とジオラマが貴重だ。その他、関東郡代・伊奈氏の功績など豊富な資料が揃っている。
他に、地域物産館もあるが、軽食の営業は土日祝のみで、物産館の方は施錠されていた。
新井宿駅-イイナパーク間のバスが土日祝に運行してます。時刻表を掲載。
上は地域物産館、歴史自然資料館
上は「屋内遊び場」館、下は内部
高速パーキング共用、休憩所と多目的トイレ
レストラン・カフェ・売店
上はフワフワドーム、下は小さい子用遊具
伊奈忠治像、下は歴史自然資料館内部の展示物
バスの運行日:土・日・祝のみ
イイナパーク ⇔ 新井宿駅(国際興業)
行先
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新井宿駅
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2023年9月16日
荒川を動かす
寛永6年(1629)は
赤山陣屋
が完成し、大宮台地や周辺の低地の開発も同時に進んでいた時期にあたります。同じ年には見沼溜井と八丁堤(赤山街逆の一部)が完成しており、さらに伊奈忠治 (38歳)は、大宮台地の北端で、これまで台地の東側に向けて流れていた荒川(現在の元荒川)を、新たに台地の西側に流れを付け替える大工事も行っていました。いわゆる「荒川西遷」です。
堤防の整備
舞台となったのは、現在の熊谷市久下の地で、荒川の流れを堤によって締めりり、新たな水路を掘って、荒川の本流を人間川とその支流が流れていた川筋(吉見・川島・川越などの方角)に移動させました。また、この付近の荒川の堤防上は中山道の道筋にもなっており、この時期にあわせて整備されたとも考えられます。大宮台地の西側の荒川の堤防は熊谷から川口・千住方面まで続いており、父・忠次の代から開発が続いていた荒川大囲堤(所々台地を利川しながらも続く荒川の堤防)の整備は、荒川西遷の影響を受けて大きく進展したものと思われます。また、荒川西遷によって洪水の危険が増したのは、吉見や川島も同じで、荒川右岸でも地域を堤防で囲って守る大囲堤が整備されました。
開発の進展
荒川が西遷したことで、従来の流路(元荒川)は水量が人きく減少し、より開発が進展します。また、かつての荒川筋たった綫瀬川も、元荒川から洪水が流れ込む危険が減ったため伝右川の開削など、さらなる新田開発が続けられました。その際、新田開発にともなう水不足に対応するための水源として設置されたのが見沼溜井だと考えられます。荒川西遷は、赤山陣屋、見沼溜井、中山道、堤防、舟運による物流の確保など、大宮台地周辺から江戸、秩父にいたるまで荒川水系全体を見据えた総台開発の一環だったと判断することができます。