羽盡神社(はぞろじんじゃ)   川口市大字芝5379-1
羽盡神社(川口市芝)
【羽盡神社 案内】
 当社は、江戸時代後期に編纂された『新編武蔵風土記稿』によると、「波曾呂社は、本郡の古社にして祭るところ羽明玉命(はかるたまのみこと)なり、日本書紀に、須佐之男命、将昇天時、有一神、号羽明玉、此神奉迎、而進以瑞八坂瓊之曲玉、故須佐之男命、持其瓊玉、而到之於天上也、と一書の文を載せたり、されど鎮座の年代詳ならず、天児屋根命、太玉命の二座を祀れる社なりと、未何れが正しとすることを知らず、今神体とする所は径六寸の円鏡にて、建武二年(1335)の銘文あり」と記されています。
社領の御朱印状は、徳川家康が天正19年(1591)に発給、武州足立郡大明神社領として十五石を安堵したものにはじまり、以来、代々の将軍により、社領は朱印地として安堵されてきました。このことからも本社が旧芝村の鎮守として、いかに格式のあるものであったのかを知ることができます。


一の鳥居 末社3
荒波々喜社 末社2 猿田彦大神

秋草双雀鏡
 この鏡は神器として当神社に奉納されたもので、直径19cm、厚さ1mm(縁の厚さ3mm)の円鏡である。鏡背に施された図様は、その名の通り秋草の乱れる中で二羽の雀が飛び交う様子が見られ、右上部には、禾本科(かほんか)植物の一草にとまる一匹のこおろぎ、その下をうねり流れる小川のせせらぎ、といった写生的な構図をとっている。鏡面には次の銘文が刻まれている。
「奉納神器 武蔵国足立郡芝阜杜 号 羽盡 曽呂唱比此云波 大明神
及羽明玉神也縁起之 書先年遇 池魚之決 予 恐 後人竟失 神号因録
之如此而己維持 建武弐歳乙亥春三月十五日 大中臣実氏敬白」
銘文の内容は、先年羽盡神社の縁起が亡失してしまったので、後世の人のためにその神号記しておくというものである。建武2年(1335)の年紀が入っているが、文体は後世のものとされている。
(平成元年3月17日 県指定)
   川口市教育委員会の解説を引用  →川口市文化財リスト

秋草双雀鏡

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