柴山伏越(白岡市柴山)・常福寺
見沼代用水路は、享保十二年(1727)徳川吉宗が勘定吟味役格伊沢弥惣兵衛に命じ、県南東部(大宮大地の東南端)にあった見沼溜井を干拓させた時、代わりに水源を利根川に求めて掘った水路であり、もとの見沼に代わる用水路と言うことで見沼代用水路と命名された。水路延長は60キロメートルで、受益面積約17,000ヘクタールにも及ぶ大用水路である。
伊沢弥惣兵衛は紀州の人で、土木技術にすぐれ、この用水路の工事は、着工から完成まで約6六ヶ月で完工している。当初の設計にはほとんど狂いがなかったといわれたほどで、いかにすぐれた土木技術を駆使して進められた工事であったかがわかる。
同用水路が元荒川と交差するこの場所では、元荒川の川床を木製の樋管を使用してサイフォンで通すという大工事を行った。これが柴山伏越である。
現状は以前より川幅も三分の一と狭くなった。
昭和59年3月 白岡市