寿徳寺 滝野川4-22-2 真言宗豊山派
寿徳寺
本尊 木造観音菩薩坐像(秘仏)
寺伝によると、鎌倉時代、当地を訪れた武士によって本尊の観世音菩薩を安置したことに始まると言われている。本尊は谷津子育観音として、昔より親しまれた。
江戸時代に、当地を治めていた領主との間で揉め事があり、その際に古文書を失ってしまったため、詳細な由来は不明となっている。
その後、幕末になり新選組・近藤勇他隊士達の菩提寺となり、近藤処刑後、境外墓地として現在板橋駅そばにある近藤の墓地の管理・及び命日における供養をしている。
また、2008年には境外仏として谷津大観音が建立した。
ウィキペディアより抜粋
近藤勇と新撰組隊士供養塔ページ
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谷津大観音(境外仏) |
本尊 木造観音菩薩坐像(秘仏)の御前立 |
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釈迦初転法輪像 |
発掘された像 |
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アショカ王石柱頭部 |
近藤勇菩提寺石碑 |
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弘法大師像 |
門柱 谷津子育観音 寿徳寺 |
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谷津大観音の脇を流れる石神井川の桜 |
南照山観音院寿徳寺の本尊である谷津子育観音は、木造の観音菩薩坐像です。この観音像は谷津観音と通称され、江戸時代の地誌には子安観音とも、また聖観音とも記されています。
寺伝では、鎌倉時代の初期、早船・小宮の両氏が主家の梶原氏と争い、追われて落ち延びる途中で水中から拾いあげ、これを石神井川の川沿いの堂山に安置したのだと伝えられています。像の姿は蓮華座に坐り、両手で乳児を膝の上に抱えている姿で、指を阿弥陀如来と同じ弥陀の定印に結んでおり、現在は秘仏となっています。
寿徳寺は江戸時代から城北地域の江戸西国三十三観音札所(上野王子駒込辺三十三ヶ所観音霊場)の第12番目の巡礼地にあたり、近江国岩間寺の霊験と同じ功徳をもつものとして多くの人々が訪れています。
境内に切株から芽吹いている銀杏があり、昔飛鳥山付近からも眺められたほどの巨木でした。この樹の皮をはいで本尊に供え、祈願した後に煎じて飲むと母乳が良く出るようになるという信仰もあります。
こうした信仰は昭和の初期にも盛んだったようで、河東碧梧桐の俳句に「秋立つや子安詣の花の束」という句があり、また寺野守水老も「我妹子と子安に詣る小春かな」という句を詠んでいます。(北区教育委員会掲示より)