如意輪観音堂  川口市芝西1-19-7
如意輪観音堂(川口市芝西)
元和キリシタン事件と龍派禅珠
元和元年(1623)7月、三代将軍となった家光は、江戸のキリシタンの一斉検挙を始めた。これが世に言う「元和キリシタン殉教事件」である。
この元和の殉教では、まず同年10月13日に宣教師や信徒ら50人が江戸高輪(現:港区)で火刑に処せられ、次いで11月3日には先に殉教した信徒達の夫人や子供達が難にあった。この信徒の中にレオ竹子屋権七郎がいて、その妻が芝の代官熊沢忠勝の娘であったことから、長徳寺住職(鎌倉建長寺派)・龍派禅珠(りゅうはぜんじゅ・号 寒松)が助命に乗り出した。この模様は、龍派の著した『寒松日歴』(寒松日記:県指定文化財)に日を追って記されている。
この娘は龍派の巧あって助命され、後に再建の日を迎えることができた。この胎内マリア観音と十字架は、娘が芝村に逃げ帰った時に、江戸の信徒から託されて持ち帰ったものであろうか。
   川口市教育委員会の解説を引用  →川口市文化財リスト

阿弥陀如来とマリア観音

阿弥陀如来と胎内マリヤ観音(「新編埼玉県史 通史編3」 より)
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