正眼寺  川口市宮町5-40  曹洞宗格地寺院  青龍山
正眼寺 (川口) spacer
本尊 聖観音
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【正眼寺 施設案内】

  川口七福神巡りはこちら

正面の本堂少し手前、左側に「寿老堂」がある。写真左端は「廻し七福神」である。左側奥に「童水子子育て地蔵」と「稲荷社」。 参道の右手脇に十六羅漢が並んでいる。
入口は路地で分かり難い。10mほどすすむと山門があり、駐車場は左にある。

【由緒】
 当山の青龍山という山号は中国の青龍寺を思い出させる。青龍寺は弘法大師や慈覚大師が学んだ密教の聖地である。現在曹洞宗の当寺もかつては天台宗であり、本尊の聖観音(写真左下)にも弘法大師作との伝承があるので、最澄・空海・道元に連なる寺史を伝える号と言えよう。
【曹洞禅への道】
  天正2年(1574)、篠周防守は開基として、曹洞宗江戸四ケ寺の一つに挙げられる名刺・駒込吉祥寺から第十一世の一超元易大和尚を迎えて中興開山とし、同寺の末寺となした。寺号は道元禅師の著した『正法眼蔵』から採ったという。本堂内陣には、元易大和尚を中心に大祖常済大師と高祖承陽大師が祀られている。
  当山第三十九世の須田行宣師は小豆沢にある総泉寺の住職でもあると言うから、浮間とまんざら縁がないこともない。

中国伝来の金色像は延命長寿をつかさどる南極星の神。三十年の玄鹿伴い、杖の先に不老長寿の秘経を結び、善男善女に寿命を授ける御利益は病回復、交通安全、癌封じ、ボケ封じ等。

《お参りの仕方》
鈴を鳴らし合掌し、次に右側の廻し七福神を廻す。
  (山内掲示物より)
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【七福神めぐりガイド】
左の写真を撮影したのは、画像ファイルで確認すると2004年〜06年にかけてでした。2009年以後にお参りした折は扉は開いていないようです。
当山、第三十九世の須田行宣師は川口七福神霊場の創始者でして、約一年を準備に費し、昭和61年4月に開創を遂げた。開創後は事務局長として霊場会運営を軌道に乗せる務めに尽力したのでした。
しかるに、その正眼寺だけが正月にも寿老堂を開扉しないとはどんな理由があるのでしょうか。
ちなみに、現在の事務局長は傑傳寺さんが務めています。

【寿老尊】
寿老尊は寿老人(じゅろうじん)とも称される白髪・白髯の老翁で、不老長寿の神徳を授ける神である。道教で延命長寿を司る「寿星」として拝される南極星(南極老人星)の化身として中国では古くから崇められており、日本では北斗七星の化身である妙見菩薩や自髭明神と同一視される。
深山神の使いで齢三千年の玄鹿(くろしか)を従え、人々の災難を払う団扇を手に持っているのは、「寿命と天命は異なり、人は摂生することによって寿命を延ばし、天命を全うすることが出来る」という思想の表れであり、ここから、人々の安全と健康を守る無病息災の神ともされる。
また、道教の祖である老子の化身ともされ、携えた杖に結ばれた巻物には、道教の奥伝が書かれているとも、人間の寿命が記されているとも言われる。

【まわし七福神】
亀の背に七福神を刻んだ石球があり、黙想して無心に回転させて神猿(みくじ)を受ける。自然に目の前に止まった尊像が自身の守り神であるという。
お参りした年は各七福神のおみくじも売っていたのですが、現在はどうか分かりません。

左の寿老人像は杉戸・永福寺のもの。杉戸七福神の一つ。




入口が路地なので行き過ぎてしまった。路地を10mほど進むと上の山門がある。山門の左が駐車場になっている。

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色々な仏像

お光観音 昭和60年(1985)開眼 北を向く 子育て地蔵
不動明王 元禄7年(1694)頭頂部に盛り上がりが特徴 十六羅漢