総泉寺   板橋区小豆沢3-7-9  (妙亀山總泉寺 曹洞宗単立)
本堂
総泉寺はもと浅草の大寺で(建仁元年1201年創立)、江戸三刹の一つとして幕府の庇護をうけていた。ところが関東大震災で被災すると、昭和3年この地に移転してきて大善寺と合併した。この聞いたことのない合併で話がややこしくなる。この地に元々あった大善寺は永正年間(1504〜21)に開基し将軍吉宗も遊猟の折立ち寄ったと言う由緒のある寺であった。ここでは、まず大善寺を説明し次いで総泉寺を説明したい。

江戸名所図会の中に清水薬師(大善寺の本尊)の説明(以下)と絵図があります。

清水坂 志村にあり。世に地蔵阪とも号(なず)く。旧名は隠岐殿(おさどの)坂と呼べり。昔隠岐守何某闘かるるゆゑなりといふ。この地峻岨(けんそ)にして、往還の行人おはいに悩めり。よって寛保年間(1741〜44)大善寺の住守直正和尚、僧西岸と力を戮せ(あわせ)、勧進の功を募り、木を伐り荊(いばら)を刈りて、石を畳みて階とす。しかありしより、行人苦難の患ひを逓る。 (→旧中山道の清水坂地図

清水薬師如来 清水坂の下にあり。医王山大善寺と号す。曹洞派の禅林にして、芝の清松寺に属せり。永正年間(1504〜21)、この地の農民新見善左衛門といへる人開基す(善左衛門、法名を清雲大善庵主と号す。永正十年癸酉(1513)二月寂す。その霊牌当寺にあり)。その後元亀年間(1570〜73)に至り、青松寺の雲崗和尚(舜徳、1438〜1516)の法孫在天禅師(1490〜1572)住職して法灯を掲ぐ。本尊薬師如来は聖徳太子の真作にして、左右の脇壇に十二神将の像を置く。境内清泉湧沸す。一年(ひととせ)大樹(将軍吉宗)この地御遊猟の頃、当寺へ立ち寄らせたまひ、この清泉によりてこの本尊を清水薬師と称すべき旨、命あり。しかりしよりかく唱ふるといへり(この清泉は寺前、山の涯下に添ひて沸流せり。近隣の村落みなこの水を汲みもちゆ。この辺り羅葡(だいこ)を名産とす。世に清水大根と称して、種を売買することもつとも夥し(おびただし))        (以上、江戸名所図会より)

総泉寺 浅草橋場町西側にあった曹洞宗の古刹。妙亀山と号し、下総総寧寺(現千葉県市川市)末。本尊は釈迦如来。相模大雄山最乗寺(現神奈川県南足柄市)24世のろく叟宗俊の開山と伝える。康正2年(1456)下総市川城より石浜に移った千葉自胤が菩提寺として創建したものと考えられるが、寺伝では千葉守胤のの開基とする。
山号の妙亀は平安時代中期、人買いにかどわかされ京都から陸奥へと連れられていく途中、隅田川のほとりで死んだ吉田惟房の子梅若の母の名とされる。梅若を探して当地に至った母は我が子の死を知り出家、妙亀尼と名乗ったが、その後鏡ヶ池に身を投げたという伝承が有り、謡曲「隅田川」などの題材となった。
江戸時代には御府内曹洞宗触頭三箇寺の一であった。
総泉寺は関東大震災で焼失し、その後北豊島郡志村大字小豆沢(現板橋区)に移転。ところが、旧地には安永8年(1779)獄死した博物学者で劇作者の平賀源内の墓(国指定史跡)が残り、その従者福助の墓も隣接している。妙亀塚は妙亀塚公園内にあり、弘安11年(1288)正月22日銘の板碑残欠が残る。「お化け地蔵」など、寺内にあったものも昔の場所に残っているのである。寺院の移転はよくあることであるが、特に源内の墓が残っているのが不思議である。台東区の文化財担当ではその経緯は知らないという。
境内に祀られている薬師三尊は、もと大善寺の本尊で聖徳太子作と言われる、清水薬師とも称され、清水坂の地名もこれによる。また地蔵堂に祀られている地蔵は、もと清水坂の中腹にあったもので、現在は子育て地蔵として信仰を集めている。なお、墓地内には佐竹候や明治画壇の大家寺崎広業、大名松平忠良・忠憲父子の墓碑などがある。何かのチラシでは平賀源内の遺骨があるという。

個人的な感想 大善寺が総泉寺に合併された事情を資料で調べてみたが書いたものは見付からなかった。まったくの推測とお断りして、大善寺は明治中期に廃寺となったと言う説をHPで読んだ記憶があります。そこへ、関東大震災で被災した総泉寺が一時的に避難してきた。江戸の由緒ある寺が来たので檀家は喜んだかも知れない。その辺の事情が絡んで合併話が進んだのではないでしょうか。合併して後、総泉寺により亀山荘園が築造されたりしたが、戦中戦後に荒廃してしまった。現在は板橋区が、「江戸名所図会」にまで登場する水と緑の名所を現代に再生すべく、学術的検討をふまえて江戸の風情を復元整備し、志村坂の中腹に「薬師の泉」として公開している(入場無料)。総泉寺自体は本堂、薬師堂、地蔵堂など立派に再建(1999年)したが、それら建物はバリケードで囲まれたままの状態で一向に使われているようすはない。
■池波正太郎さんの「剣客商売」シリーズの「番外編・黒白(こくびゃく)上・下」(新潮文庫)の上巻289ページに大善寺のことが掲載されています。

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