慈恩寺 玄奘塔
慈恩寺 さいたま市岩槻区大字慈恩寺139
玄奘三蔵法師
玄奘三蔵法師の霊骨石塔
三蔵法師の遺骨は、宋の時代に長安(現西安)から南京にもたらされた後、太平天国の乱で行方不明になりましたが、第2次大戦中に南京を占領していた日本軍が、偶然にも土木作業中に法師の頭骨を納めた石箱を発見(昭和17年)しました。頭骨は、当時の南京政府に還付され、昭和19年に南京玄武山に玄奘塔を建立し奉安されるとともに、日本へも分骨されたのです。日本へ渡った頭骨は、当初芝増上寺に安置されましたが、折しもその頃の東京は空襲の被害が広がり、一時埼玉県蕨市の三学院に移され、さらに三蔵法師の建立した大慈恩寺にちなんで命名された慈恩寺に疎開しました。
昭和25年に十三重の花崗岩の石組みによって玄奘塔が築かれました。 その後、慈恩寺から台湾の玄奘寺(昭和30年)や奈良の薬師寺(昭和56年)へも分骨されています。
玄奘塔は慈恩寺本堂とは離れたところにあります。歩いて5分ほど、山門から直角に進み、200mほどで左折する。
元亀と呼ばれる模範亀鑑
千手観音
びんずる尊(撫で仏)