密蔵院
川口市大字安行原2008 真言宗智山派
文明元年(1469)に永海法印によって中興されたと伝えられる。明治初期までは京都醍醐寺無量寿院の末として、本寺の寺格と御朱印十一石、三十八ヶ寺の末寺を有し、川口、浦和、草加、越谷、大宮などの各寺院に影響をもたらした川口市内有数の古刹なり。
本尊の地蔵菩薩像は平安時代藤原期の造立で、総高65センチ。慈覚大師作と伝えられている。また、平将門の守り本尊でもある像をこの地に奉安したことが当山の開基になった。写真はお前立ちで、本尊は後ろの扉の中に安置されている。
不動堂に安置された不動明王像
特別にご開帳になった 秘仏・文殊菩薩
川口七福神の一つ大黒天
当院の住職の熱い発願により造像開眼された見返り地蔵
児玉郡上里町諏訪神社御神木のケヤキ(樹齢450年)が落雷のために倒木、これを前橋市の星野善四郎氏が彫刻制作した布袋像
薩摩藩島津家江戸屋敷の門を移築したものである
当院は川口市の桜の名所の一つに入っており安行桜の咲く3月中旬頃は大勢で賑わう
弘法大師像
下の写真は、参道の踏み石に四国八十八ヶ所が刻んである。踏み石の下には書かれた寺院の砂が敷かれているそうです。ここを踏めば実際に巡った御利益があるとか。寺で正式な踏み方を教えてもらった。利き足を一歩踏み出して、次いで、残りの足を添える。そして、弘法大師の名号「南無大師遍上金剛」と唱えなる。その繰り返しだそうだ。