板碑
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【龍福寺 施設案内】
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本寺は、かって20余基の板碑を有し、板碑寺とも称されていた。ところが先の大戦の時空襲を受け、堂宇・寺宝が焼失し、板碑も損傷してしまった。ただ、鎌倉時代の特色を見事に示している建長7年(1255)の大型板碑と延慶2年(1309)の板碑は破損を免れ、完全な形で保存されている、その他7基が残るだけです。
特に前者は、都内でも有名な板碑で昭和58年度に板橋区有形文化財に指定された。

下の写真は、中央の大型板碑を拡大したもので、
建長7年(1255=鎌倉時代)2月16日の彫りが見て取れる。
板橋区の解説を引用する。
板碑は中世に造立された板状の供養塔の一種で、造立の目的は死者の冥福を祈る追善供養や生前に死後の菩薩のための仏事を行う逆修供養(ぎゃくしゅうくよう)が主なものとなっています。区内に所在するものは、埼玉県の秩父地域で産出される緑泥片岩(りょくでいへいがん)を石材とする武蔵型と呼ばれるもので、そこに造立年月日や法名、仏を表現する種子などが刻まれています。 この板碑は、区内で2番目に古い建長7年(1255)に造立された、高さが160cmの大型のもので、表面には「成善」の名前のほかに、梵字(ぼんじ)のキリーク(弥陀)を主尊とし、それにサ(観音)とサク(勢至)を配した、弥陀三尊が刻まれています。